ブラックアダム

溢れ出る「仕事なのでテキパキ片づけました」感。エモの欠片とてない流れ作業。子供だましのアメコミ原作の薄いテーマで感動なんかさせてやらねえぜ現実に繋がるテーマは他で感銘を受けときなと言わんばかりの約束されたペラさをペラさと見せつけるペラさ。

こういうのは割と好きで、というかやはり現代ヒーロー映画の積み重ねてきて今に至る時系列においてファンタジーと現実のバランスのとり方が今一つ噛み合ってないと思うことが多いので、現実へのフィードバックが皆無みたいな軽薄さがむしろ好ましく思えるということなんだと思う。

誉めてないふうだがそんなことはなく、基本的にシャザム世界との連動になるわけだからシャザムと目線を合わせる感じだと思うんだよね。そうすると低年齢層の視聴者を視野に入れた上でブラックアダムの描写をしなきゃいけないわけなので、けっこう大変なミッションだったはず。

ブラックアダム全然喋らないの好き。顔と肉体を置物で置いとくだけっていう割り切りの良さが最強の風格になってると思う。もっとアクションあってもいいって話もあったけど、DC最強の一角だし動いた時にはもう決着がついてるぐらいの見せ方になってるのはアリ。

個人的にはアマンダウォラーの便利さが好き。ニックフューリーと対比されることになると思うんだけどスーサイドスクワッドでの極道ぶりがあるのでウォラーなら何を言わせてもいいし何をやらせてもいいっていう。

で、このタイミングだとやはりブラックパンサーとブラックアダムの対比は避けられないと思う。王様VS奴隷。人種に目がいきがちになりそうなところ、搾取する側とされる側の対比を強調して逸らしてるのはそんな悪いことではないと個人的には思う。結局のところ権力や金がどこにあるかが最大の問題だし。といってもそのへんは前半だけで済ませて後半は違う話になるけども。

しかしシャザムと顔を合わせる前にスーパーマンといきなり対峙するエンドクレジット寸劇、あれって今後の展開にけっこうな影響を与えると思うんだけど、あんな思いつきのオチみたいな形で入れちゃっていいのだろうか。