大砲とスタンプ9巻

完結。主人公マルチナについてはこれまでの話で一通り遍歴を経て9巻開始時点で覚悟完了してるので最終巻は消化試合というか自身の物語にケリをつけにいくことになる。任地の戦場を中心にして、上流階級に下層階級、自分の故郷、敵陣営にも限りなく近い現場まで、行けそうなとこは全部を巡った上で、最後に自分の戦う戦場を決める。ここまで主人公が自分で見れる範囲の視野をちゃんと全部見渡した上で元の立ち位置に改めて戻る王道の大河ドラマは昨今割と珍しい気がする。

覚悟完了してるのでマルチナの決断は早く展開も早い。そんな中マルチナが自分自身で決めた戦いの結果を突きつけるボイコ曹長のシーンはすごかった。上から命令されたのでも敵から攻撃されて反撃するのでもない、自分が選択して決断した戦い、他人にその責任を押し付けず受け止めろとマルチナに諭した曹長が自らの死をもってその最も重い意味を見せつける。読んでからしばらく経った今でも思い出すと胃が重くなる。

ところで、大砲とスタンプのタイトルについて。

スタンプの意味するとこの書類仕事は戦争の現場の銃弾のリアルと最も遠いイメージ対比を意識したものだろう。直接的には前線に対する補給というやつ。軍事モノ軍記モノで兵站を軽視した勇猛果敢な将軍が裏をかかれる例のアレ。

が、現実世界の、戦争から遠ざかった日常の現場では、マルチナの職務は存在を奪われつつあるよなと思った。具体的にはAmazon流儀のIT物流革命によって、マルチナの請け負ってきた書類と現物のすり合わせ、引き渡しの業務はバーコードタグ貼りのアルバイト、データ入力業務のパートタイマーに分離分解され、そのあたりの中間業務は多少ミスがあって必要な物資が現場に届かない場合でも管理修正などされず再発注再送付で済まされるのが最大経済効率となり、日常生活下の人の生死は統計の数字となりリアルな日常風景はすべてパーセント表示で表され、今やスタンプという形而上と形而下を結びつける儀式は駆逐されつつある。対人で折衝や調整を請け負うキリシュキン大尉の立場の業務はなくならないだろうが、書面の文字と現実の物質をすり合わせ結びつける現場責任者マルチナの存在は平和な現代社会では雲散霧消する運命にある。マルチナが必要とされるのは指定場所指定時刻に100%確実に銃弾が届いていなければ国家組織全てが台無しになり終わってしまう現場であり、つまるところ戦場でなければ「スタンプ」は存在しえない。このマンガの連載開始時はAmazon流儀がここまで浸透してなかったから作者たぶんそこまで意識してないと思うけども、気がつけばマルチナの戦いの意味はなんだかずいぶんと大きくなってしまった気がする。

その他。スィナンはよくわからなかった。名前すら借り物というオチは最初から目論んでたんだろうけども、便利な狂言回しとして大活躍しまくって存在感が大きくなりすぎてしまったので、マルチナの物語に必要だったのかどうかが逆によくわからなくなった感じがある。キリシュキン大尉は割と過不足なくマルチナとの対比の役割をまっとうしてて、キリシュキン大尉が「書類の帳尻合わせ」として裏でやってそうなことの比較というか絵解きとしてスィナンがいる感じであり、そういう意味ではスィナンとキリシュキン大尉の二人であわせて、マルチナとの対比の役になるのかなと。国家の意思決定の経路から脱線し意味が失われたまま状態としての戦争続行を、実際に遂行してるのは一方で官僚として自己目的化した書類処理を続けてる兵站軍、もう一方で日常化した戦争の続行に生きる場所を確保するスィナン、同じものの裏表であるぐらいは言えるのかもしれないけども、そうなるとスィナンはキャラクターというよりシチュエーションの擬人化的な存在ということになるのかな。万が一にも本作品が他メディアに移植されることになった場合、脚本家や監督はスィナンの位置づけに苦労する気がする。

アニメ化ないし他メディア化は、まあ難しいんだろうなあ。作者なんだかんだアニメ業界に近いとこで仕事してるし話もないではないんだろうけど。そもそもこういう劇画でも少女マンガでもない古典的なマンガ絵スタイルで戦争大河ドラマってのも今だと結果的に珍しい気がする。台詞での作劇だからけっこう密度濃いし。現代のアニメのフォーマットとはちょっとズレる感じだろうか。海外ネット配信ドラマ形式ならどうにかなる気がするんだけども。