「フューリー」の悪口を書くよ。ネタバレつき。

うん。なんつうか。
見終わって単なる「リアルガルパン」でしかないというシンプルな事実に、うわバカみてえ、と思った。
褒める人はいるだろうと思う。が、褒める人を信じるな、それは罠だ、と云っておきたい。

見に行く前、なんとなく「レバノン」のハリウッド版翻案なんじゃないかなーと想像してた。イスラエルレバノンに介入した事実をイスラエル側から描く、普通に考えて大丈夫かそれという内容を、戦車の中の密室劇という形式で描くことで戦争の背景とか推移とか、色々な事情をスルーする。21世紀に入ってから、イスラエル映画の発信する戦争映画ってのが、立て続けに内向き志向の現実逃避志向に陥ってて、なんつうか現実にまだ周辺諸国との関係がきな臭い中で、日本のテンプレ反戦物と同レベルの逃避志向の「戦争って醜いよね、僕は傷ついちゃったよ」路線にひた走るってのが実に嫌らしくゲスっぽくて嫌気がさすものだったのだが、欧州や米国としては待ってましたとばかりイスラエル厭戦物ジャンルに飛びついて映画賞を連発しており、その中でも「レバノン」は戦車をネタにしたということで、ハリウッドでパクリ企画書が出回ってるだろうなと想像するのが大変にたやすかった。

で。
FURYは、たぶん企画書の元は「レバノン」だったんだろうけど、もっと性質が悪いほうに突っ走ってた。

「戦争映画で戦車はいつも悪役だったんだ、それがガルパンでようやく主役になった」というのが、ガルパン好きな人の発言だ。
ガルパン以前、なんで戦車がいつも悪役だったのかと言えば、戦車を主人公サイドにして物語の図式を描くには、戦車は強すぎるからだ。主人公が映画の中で等身大の人間として活躍するにあたって、主人公サイドが歩兵を蹂躙しまくる戦車を使うようでは、単なる弱い者いじめでカッコよくない。逆にいえば、等身大の人間からみて絶望的に強い戦車は、乗り越えるべき敵もしくは障害として最適だ。だから、映像作品の中で戦車がその圧倒的な戦闘力を発揮してみせるとき、それは常に悪役としてだった。
ガルパンが上手かったのは「主人公側が、最弱レベルの弱い戦車でもって、対戦相手の強い戦車を打ち破っていく」という形だった。大洗学園の4号戦車では、正面からではタイガー戦車の装甲を敗れない。弱い戦車は歩兵と同レベルに強い戦車に勝てない、それによって「強い戦車が最強の障害としてあらわれる」という過去の戦争映画のセオリーを踏襲し、戦車を悪役にすることで戦車を主役へと持ち上げてみせた。
これは発想の転換、思い込みのスキマや盲点を見事についた、ガルパンのうまさだ。ガルパンを見て、世界中の映像作家が「ちっくしょう、その手があったか!」と悔しがったに違いないと思わせる、見事なまでの発想の勝利だった。ガルパンは王道の横綱勝負ではなく、非常にテクニカルな小技の積み重ねで常識をひっくり返すほどの成功に至った代物だが、その「小技」の中でも「弱い戦車が強い戦車を倒すという図式で戦車を主役にする」という構図は、パラダイムシフト、ドクトリンの更新、新時代の到来と呼ぶにたるものだった。

んで、ハリウッド発の戦車映画フューリーである。
これが見事なまでに「ガルパンが成功して悔しい! だったらガルパンと同じことを俺らハリウッド流のリアル路線でやったる」でしかなくってさ。
なんつうかね、たぶん、「レバノン」を受けて同じようなことをハリウッド流にやろう、という企画書が出回ってたんだけど、主人公たちの乗る戦車の見せ場がないとダメだろ、ってことでお蔵入りしかけてたのが、ガルパン見て「これをパクればいける!」ってことでゴーサインが出たんじゃないかなあ、って。

まあ、製作の経緯は、別にいいのよ。けどね。
出来上がったものがどういうもんかって云ったら、さあ。
なんつうの。映画の途中から脳内でさだまさしが「海は死にますかー山は死にますかー」って歌いまくりでさ。
いや、「二〇三高地」だったら、まだ許せるんですよ。あれ割と中身はごっついし。けど「防人の歌」って「二〇三高地」の内容にあってないでしょう。映画のインターミッションでさだまさしの歌声が流れると「いや、そういう内容じゃないじゃん」ってツッコミ入れたくなるでしょう。
「フューリー」は、そういうレベル。なんか軍オタとか戦争映画オタとかが褒めるかもしれないけど、「戦争は醜い」「戦争は酷い」ってのが、なんつうの、見たことないけどきっと「男たちのヤマト」とか「永遠のゼロ」レベルだろ、と言いたくなるぐらいの邦画の反戦もの戦争映画レベルのアレ。アニメでいったらガンダムシードとかガンダム00とか該当するんだろうなあ、ていう反戦メッセージ。フューリーをメッセージ性もしくはメッセージ性に近い意味合いで褒めてる軍オタ歴オタがいたら嫌がらせでそのへんと比較してやったほうが相手のためだと思う。いや本当に、驚くぐらいに中身がなくって、中身の無さをスプラッタ描写で誤魔化してるだけ。「ガルパンに負けまいと対抗意識でリアル戦場描写を頑張ったらスプラッタ路線に突っ走りました」てあたりが内実だと思うんだけど、オタの悲しい性質で、小道具がリアルってだけでコロッと騙されるからさ。
けど、見た目がエグくて派手なだけで、やってることは日本のテレビ局で8月にやる反戦ドラマとかと変わんないです。日本人好みって言えば言えるけど、高尚な言葉を連ねて肯定する価値があるとは思わないです。それと同じ言葉を連ねることで大概の国産反戦物を肯定できると思う。

逆にいえば、「フューリー」を、「リアルガルパンだすげえ」って以外の言い方で褒めるんではなく、なんか高尚そうな言い方で評価しうるんだとしたら、その言葉をもうちっと国内の予算不足の反戦路線の戦争映画に向けてやってくれ、って。