@oyomot: ただ、視覚とだけ切り出すと語弊があると思います。おそらくは「視覚と視覚表現との結びつきの解体と再構築」というような一連の自体ですが、さておき少し出かけます
@oyomot: 佐々木果は「視覚の解体」を指摘します。
@oyomot: 昨日の続き。テプフェールは人物像から背後のひも付けを全部とっぱらってしまう。観相学試論の凄味は「顔の形によって人間の性質がわかる」を徹頭徹尾、技術の問題としてのみ記述することで「奥行き」を排除してしまっている。このあたりは佐々木果が「まんが史の基礎問題」で掘り下げてるので参照
@oyomot: なんつうの、凡庸さの王様、みたいな位置づけですノーランは。アマデウスのサリエリがホントに容赦なく天下を取って凡庸さの守護者としてフェチな感覚に対し無慈悲に大ナタをふるってく、その能面のような凡庸さがたまらない、とかそういう
@oyomot: ヒーローのカッコよさが見たくてアメコミファンがいるはずなのに、ヒーローのカッコよさはホントどうでもいい、って感じだし、2001年のこのハードコアなとこがいいんだ、っていうフェチ趣味を、容赦なくバッサバッサと切り捨てる逆方向のハードさ(そして親子感動ものへ。。。!)があってですね
@oyomot: ただ、その「黙々と味も素っ気もない方向に問答無用で形を整えてく」という過程の、容赦のなさ自体がノーラン節でもあるって話でしてね。つまりメメントもさ、ぞっとするぐらい夢も希望もない代物なんだけど、ノーランて、全部がこんなふうに見えてるんだ、ってのが伝わってくるんですよ
@oyomot: インソムニアも原作破壊って扱いだったし、バットマンもビギンズはベタの極致、ダークナイトは夢も希望もない、リターンズもベタのベタベタ。なんかね、ジャンル映画に対してジャンルのファンが期待する美味しいところを全く理解しないでさ、黙々と「いちばんつまらない解釈」に話を落ち着けてくの
@oyomot: クリストファーノーランて「夢も希望も持ち合わせてない人」でさ、「プレステージ」でも原作ファンから「あの原作の結末をあんなふうに改変しやがって許せない。。。でも面白い。。。悔しい!」みたいな反応があったんだけど、いわゆるSFマインドとかフェティッシュな欲望とか全く理解しない人でね
@oyomot: インターステラー見て「ああ相変わらず邦画みたいなベタな親子感動ものなんだなあ」と思った後、意味不明の原作改変した邦画の「一般受けするためには仕方ないんだよ」という言い訳は、全く言い訳になってないことに気づいた。
@oyomot: RT @S_Mizuki: 売れてるハリウッド映画も「世間じゃキモい妄想」が核なんだから、それを排除するとつまんない邦画みたいなもんが出来上がる。ヒーローごっこには照れも言い訳も無用!
@oyomot: ごめん眠い。