@oyomot: これからE5開始艦隊。戦艦と正規空母のそれぞれのタイプから1隻づつ、という玉虫色で威力を見ようと3回ほど出撃。1回目は前衛支援のみでボス到達しカスダメ削り。2回目は決戦支援のみ出し中途撤退。3回目はフル支援でボス撃破A勝利。わりと運 URL
2014-05-01 23:44:23 via web
@oyomot: E4終了。編成はカ号x2、三号セットx4組という手持ち装備の都合。制空入れつつ軽巡や雷巡を入れないのはどうせクリティカル一発当たったら同じだからってことで相手昼連撃を抑えつつ回避重視。軽はキラ付のときカスダメくらいやすい気がするし URL
2014-05-01 23:33:55 via web
@oyomot: @flurry 10年ぐらい前に、ずるい、という感想を書いたと思います
2014-05-01 22:42:46 via web to @flurry
@oyomot: 大雑把ですが、だいたいそんなかんじです
2014-05-01 20:44:23 via web
@oyomot: もちろん、このさき、マンガ研究がすすみ、マンガ文法が確立され、「マンガはこう読まれる」という読解のルールが厳密に規定されるなら、そのときは、マンガを使って議論することが可能になると思います。が、そうなったときは、マンガは極めて非効率なだけの伝達手段とみなされるでしょう。魅力ないし
2014-05-01 20:40:58 via web
@oyomot: マンガは風刺することはできます。作品としてメッセージを打ち出すことはできます。ですがマンガという形のまま「議論」を行うことはできません。
2014-05-01 20:39:06 via web
@oyomot: 議論に参加しない以上、ことの善悪、虚実の決定に参加することはできません。しちゃいけないことになってます。それをやったら法治国家なりなんなり、俺たちが生活するための基盤を破壊します。
2014-05-01 20:37:24 via web
@oyomot: その「どちらつかず」さに立脚して成立しているマンガというメディアに、小林よしのりは依存し保護されることで、「議論」の中に取り込まれることを、つまり文字のつながりの中に立ちいって参加することを拒絶しました。それが、ゴーマニズム宣言という方法論で「議論」するのを否定する理由です。
2014-05-01 20:35:57 via web
@oyomot: マンガはその成立と普及の過程において、そして現在において、コマという「絵の分割」や、オノマトペという「絵と文字の混淆」や、絵のパーツの記号化と記号の再構成による絵の構築、そういった、絵でも記号でもない「どちらつかず」であることを意図的に採用し特色化してきました。
2014-05-01 20:32:54 via web
@oyomot: 絵は文字のようには普遍的に流通しない前提のものです。そしてマンガは、印刷技術の発達によって絵が大量に流通するようになってからの、文字と絵の中庸の、もっとも整理されない煩雑な領域でもって成立しているメディアです。
2014-05-01 20:29:35 via web
@oyomot: 俺は、そういうマンガ論者は信用していません。マンガという形式は、根本的には意図的にバラバラに分断されて、しかるのちに再構成された絵です。この絵というのは、文字と違って、普遍性を欠きます。徹底的に省略化して、なるべく多くの人に共有されることを目指して作られてるのが文字です。絵は違う
2014-05-01 20:24:48 via web
@oyomot: ちなみに、ある種のマンガ論では、コマの読み方のルールが自然発生的に決定されうるような要素を認めようとしてますから、そういう場では、コマも吹き出しも厳密な読み方が可能であり、それゆえに、マンガの書式で契約書も裁判判決も作れる、となります。
2014-05-01 20:21:48 via web
@oyomot: なんでか。言葉の積み重ねという体系に、マンガが参加権を認められてないからです。裁判所が判決をマンガで書いていいか。契約書をマンガ形式にしていいか。コマ割りで契約期間を4コマも5コマも使って吹き出しの発話者を変えながら書いたとして、それが契約を成立させるか
2014-05-01 20:16:34 via web
@oyomot: では、そういう、物事の良し悪しとか色々を決めるための基準にアクセスするのに、マンガで議論ごっこするという行為はアリなのか、です。小林よしのりのそれについて言えば、議論のための手順を欠いています。マンガという形式に引きこもりながら、言葉の積み重ねの場にチョッカイを出してるのがダメ
2014-05-01 20:12:57 via web
@oyomot: まあ、古代ギリシャばっかじゃなくて、神権国家だったら、その国の神様につながってりゃいいし、キリスト教なら聖書だし、独裁国家だったら独裁者、その参加してる社会を律してるとされる基準にまでキッチリさかのぼるという手順が、普段は意識してなくても必要ですよ、って話ですね。さて本番
2014-05-01 20:10:33 via web
@oyomot: 俺なんかは、基本的に図とかグラフィックで把握する人なので、言葉を連ねてくという行為の埒外に弾かれてる気がいつもしています。つうか多くの人は、そんな古代ギリシャだかから続いてることになってる連続性なんかに参加してるつもりは全くないでしょう。けど、それじゃ議論ができない
2014-05-01 20:08:36 via web
@oyomot: これは「建前」です。現実の世界は言うまでもなく人間が簡単にまとめられるほど秩序立ってませんし、各人の頭の中身もそんな一直線の論理展開ができあがってるわけじゃないです。けど、だからといって建前を放棄したら、互いに前提を共有することができません。だから、言葉で繋いでかないといけない
2014-05-01 20:06:16 via web
@oyomot: こういう先人の論をふまえるってのは、当然、事前にえんえんと議論しまくって遡りまくってる、ことになってます。そんで、先人の論は究極的には聖書とか古代ギリシャとか、そういう昔から、ずーっと、ひとつの線を繋ぐように、一つの文章としてつながるように、なってる、という「建前」を守ります
2014-05-01 20:03:38 via web
@oyomot: だから議論するための前提ってのを省略するため、互いに了解済みとするため、先人、古典の論者や研究を引用して、そこんとこまでは話を共有してね、っていう儀式をやります。学者さんはそれをやらないと、そもそも議論に参加できません。
2014-05-01 20:01:26 via web
@oyomot: けども、言葉をかわすたび、問題を討議するたび、前提をイチイチ確認するわけにはいきません。前提の確認は、ぶっちゃけ、遡ろうと思えばいくらでも遡ることが可能です。疑問符をつけて問いを作り出すのは、無限に、無制限にやれちゃいます。けども問題が目の前にあるのに、無限の時間はないです
2014-05-01 19:58:50 via web
@oyomot: まず、他人と議論するには、議論のための前提を共有しないといけません。それぞれの情報の確実性がどの程度であるか、どの情報を事実とするか、様々なことを共有しないといけないわけですが、この、前提の共有というのは、言うほど簡単じゃありません。主観は人それぞれ、文化も生まれ育ちもバラバラ
2014-05-01 19:56:17 via web
@oyomot: 今どき珍しい人が引っかかった。説明するとマンガという形式に意図的にだらしなく乗っかったまま討論という言葉を使った行為にちょっかいを出してることに根本的に問題があると言えます。ここんところは漫画研究者とかいってる人は意識して小林よしのりの活動に言及すべきだと思ってます
2014-05-01 19:53:19 via web
@oyomot: RT @he_cash: 今からでもいいから、どういう危うさがあるのかちゃんと説明して欲しいわな。こういう思わせぶりなことを言うだけで、それが出来てる人間見た事ない。
2014-05-01 19:50:42 via web
2014-05-01 17:57:18 via web
@oyomot: そも中国に建築基準なんてあるんか、ってのが正直な感想。あそっか。基準じゃなくて許認可の問題か。
2014-05-01 09:44:37 via web
@oyomot: RT @kinbricksnow: “なぜ取り壊されたのか、というと、「1800平米で認可を取っていたんだけど、1万平米ものゴージャス教会をぶったてちゃったから。屋根の十字架も認可を得たものより高かったから」” / “弾圧ではない?!「中国政府、教会取り壊し」の裏側…” htt…
2014-05-01 09:42:42 via web