@oyomot: @kumi_kaoru でも実際、村上の言うようなアートの文脈と関係ないとこで少女マンガ展はアメリカを巡業してたと記憶してますし、商業的な大成功とは言わないまでも少女マンガという形でそのまま輸出して受け取られているように見受けるので、個人的には村上の行動に意味を見いだせないんです
@oyomot: RT @kumi_kaoru: 細野晴臣もかつてそういうの狙ってたとか。国の音楽ではなく都市の音楽がある。ビートルズはリバプールの音楽だった。東京の音楽とは…歌謡曲だ!それを欧米向けにマッシュアップして作られたのがこれ。URL ミク版ですが…
@oyomot: @kumi_kaoru 音楽はわからないので、村上の作品についての個人的な感想を述べますと、美少女フィギュアとか巨大な目という意匠を採用したわりに、その直接的な起源である少女マンガという文脈に触れてるように見えないあたりが、彼のつまらなさだと思っています。そんで原爆とか言い出す
@oyomot: @kumi_kaoru すみません音楽は知識も経験もセンスも皆無なんでわかりません。
@oyomot: @kumi_kaoru いやですが、岡本太郎が縄文土器から着想を得ました、というのと基本的には変わらない気がするんですよ。もちろん彼が「オタク文化の意匠で日本の土俗性としてアピール可能だ」と見抜いたこと自体に価値がある、というなら、それはそれでいいですけど
@oyomot: @kumi_kaoru キティについては判りませんが、村上のそれはつまり「ピカソはアフリカの土俗的な仮面をネタに取り込んで目新しさをアピールしたわけだし、ガイジンが同じことを日本の土俗的な意匠であるオタク文化を使ってやる前に自分でやろう」という話ですよね。
@oyomot: @kumi_kaoru 金にならないからでは。日本と西洋の価値観のズレもしくは落差が維持されないと彼の商売も成り立たないので垣根を壊さない程度に突っつくのが商売として正しい態度かと
@oyomot: 影表現が非常に重視される時期や流派ってのは過去に何度かあったはずですし、光源の問題についても、絵画や映画や写真を常に横目に見ながらマンガを製作してるわけだから、無視できるはずがないし、知らないはずもないんだけど、あくまでサブ位置にとどまってる、というような
@oyomot: 光源と、光源によって生じる影については、部分的に取り入れられることは普通にあるけど、絵画のように構図を決定する上での土台にまで持ち上げようというほどには重視されてない、てのは言えると思うんですよ。
@oyomot: まあいいや。話をマンガの中の窓談義に戻すと、絵画表現で思想とか手法として重視されてる光源の問題がマンガでは結局のところ主要構成要素としては取り入れられていない、という話が出てくると思います。部分的な手法として採用されることはあっても、マンガ手法上で重要なキーになりえなかった
@oyomot: 手塚治虫の「マンガは記号です」という言い分に真理とか哲学とか論理とか見出さないでスルーして議論してしまいがちなんだけど、「偉い人だから話半分にはしょっとこう」みたいな連想して、「トミノ発言は云々」とか「宮崎発言はかんぬん」とかいうスルー推奨な言い方は拙いんじゃないかなあ、というね