@oyomot: だから「美形とカリカチュア化されたキャラが混在していること」というのは、単に作者の思慮不足の話に帰すべきではないし、研究や論考の対象としてきちんと取り上げることが可能な話だったりするので、やったほうがいいというか、踏まえて話をしたいとこではある。
@oyomot: あとカリカチュアとは別系譜の思想を背景にしたキャラクター表記(キャラクターというか人物絵の表現技法)が、現在のマンガには混在してる。「写実的な絵」ではなくて「美形の顔」な。あれは「あえて特徴を強調して歪めて描く」という思想の延長にはない。
@oyomot: 言うまでもなく、今のマンガに「寓意性」が何より大事、なんて話は当てはまらないのだが、表現技法と表現の自由(最近だとヘイトスピーチなんかと比較しないといけない)の話とセットなので、「マンガはこういうものだ」と言って切り捨てるわけにはいかない話題でもある。
@oyomot: 「カリカチュア」は、「下手に描く」のではなく、「あえて誇張し歪めて描く」手法なので、カリカチュア、戯画、それを技法として採用しているマンガは、そもそも「個人の偏見」そのものをその技法のうちに内包してる、と言えます。だから「マンガの定義」に寓意をテーマ化してるか否かが議論になったり
@oyomot: 「近代マンガの祖」とされるテプフェールが「新聞の風刺絵のカリカチュアの手法はそれ自体が政治批判を過激化させよくない」(マンガ)と既に自著で指摘してるのねURL / “さて話をワンピースに戻すと…” URL
@oyomot: 普通にいうと別シナリオなのに連続してる凄い、っていうと「痕」になると思うんだけど、あっちはそもそも同じ展開は起こさないでどんどん別展開に進んでくのか。同じ展開はそもそも発生させない、という意味では「痕」のほうが洗練されてる気はしなくはない
@oyomot: もっと言うと、弟切草ではシナリオ制覇率が上がってくうち、それまで読んだシナリオを前提にしたシナリオが発生するわけだが、たとえば説明なしに半魚人やミイラがメタ風味で登場したりする。これなんかも「既読の別展開を前提とした省略」と言えなくもないが