@oyomot: だって、麺固で頼むと、同時に頼んだ隣のやつよりちょっと早く出てくるんだよ?
@oyomot: 意識下の記憶じゃなくて、目の前の生活のほうが現実を規定してるだろう、という程度の話なんだけども
@oyomot: 「敗戦」じゃなくて、米軍占領下であるとか、食糧不足の時代であるとか、そこからの異常な復興であるとか、生活に直結した記憶と、そっからの延長上の現在の生活環境だからこそ、現代を規定している、と考えるべきじゃないかしらと思うんだが、それだと扱いづらいのは、まあわかるんだが
@oyomot: とくに、日本の場合、戦前や戦争時の記憶についてはタブーだったり歪曲されたりで、アンタッチャブルも多数あろうし、なんで玉音放送やねん、というと、それはどっちかというと「戦後のスタート地点」の性格のほうが強いからだろう、となるよな
@oyomot: いやもちろん「戦争で人が死ぬ」「死が身近に感じる」という、戦争そのものの記憶が大きく影響を与えるってのは理屈としてわかるのだが、一方で、人間て、いつまでも昔のことばかりで埋め尽くされてはいないよなあ、どちらかといえば、最近数年間とか、数日前までの記憶経験に左右されるよなとか
@oyomot: 敗戦の衝撃なあ、とツラツラと悩んでみたのだが、あんましピンとこないというか、例えば玉音放送がドラマの素材として繰り返し使われるのは戦争に負けただけじゃなくて、その後にガッツリ復興したのとワンセットだからだろう、と URL
@oyomot: @kumi_kaoru 子どもでデビュー、皇帝陛下にご拝謁みたいな話だったと記憶してますが、当時は客が貴族王族だったからそういうオチで、現代だと客は大衆だから美空ひばりは大衆向けデビュー、ということで、やってることは同じでは
@oyomot: @kumi_kaoru でも要するに高畑が勝手に言ってるだけですよね?
@oyomot: @kumi_kaoru 「戦後日本の大衆文化」でしたら、別に敗戦の衝撃とか美空ひばりとか言わんでもいいのでは。
@oyomot: 伊藤剛のテヅカイズで扱われる「キャラ/キャラクター」の枠組みの話でいうと、彼のとりあげるシーンで、あるいは他で、手塚はアッサリと、伊藤のあげるような「キャラ」の断片まで切り捨ててしまってるだろう、と
@oyomot: たとえば「映画のようなスピーディさ」というとき、ひとつのコマに滞留する時間が切り捨てられてる、となるだろうし、「登場人物の内面を描いた」というとき、キャラクターの不変性であるとか同一性、一貫性は切り捨てられる、となる。
@oyomot: 手塚治虫の話になったのでもすこし。こないだ「手塚のほんとにすごいのは自分が物語を描くためにマンガの構成要素を使い捨てることを厭わないことだ」と書いたわけです。彼が発明したモノよりか、彼が採用のために捨て去ったものは何か。
@oyomot: まあ、こっちは僕の意見なので、久美さんは久美さんでセルフでまとめられるんじゃないでしょうか。本も出すみたいですし、そちらを読んでみたいと思います。「セルフまとめ。手塚治虫とかアニメとか。」 URL
@oyomot: あと、貸本文化の話も少し触れましたが、安く作れる印刷もののマンガと、金のかかる他のメディアとの違い、みたいな話が久美さんから抜け落ちてるなあ、と思ったのも後出しですが書いておきます。..「セルフまとめ。手塚治虫とかアニメとか。」 URL
@oyomot: 性描写は日本独自だ、という理屈は中々に魅力的ではあるのですが、性愛も暴力も含めありとあらゆるものを貪欲に飲み込み表現してきたのが日本のマンガ文化なので、セックス&バイオレンスばっかり..「セルフまとめ。手塚治虫とかアニメとか。」 URL
@oyomot: 解説すると久美薫さんは見ての通りの個性の人です。僕は雑な人です。久美さんが性の問題を取り上げたがるのは宮崎駿論のときから基本的に一貫してて、そっち方面で新しさは欠けますが、とにかく根..「セルフまとめ。手塚治虫とかアニメとか。」 URL
@oyomot: @kumi_kaoru 宮崎駿は距離を持って見れている、と先ほどおっしゃられていましたが、高畑も宮崎も、戦後の急成長の当事者であり、そこから距離をもって見るには至っていない、と言えるのではないでしょうか。マンガ・アニメというメディアを語るなら敗戦よりもそちらが先ではないか
@oyomot: @kumi_kaoru 日本の独自事情という話で言うなら、敗戦もさることながら、その後の急成長のほうが世界史的に見ても特異であると言えるでしょうし、役所の規制がゆるゆるなのも、そうした急成長に対応しきれた、しきれない、といった事情のほうが大きい気がします。印象論ですが
@oyomot: @kumi_kaoru 日本の国内の出版事情や規制についていえば、他の多くの、それこそ政治献金からはじまり労働問題にいたる、あいまいな制度運用のいくつかのうちのひとつ、というのが素朴な感想です
@oyomot: @kumi_kaoru ご返事がないようなので今までのお話を伺った上でこちらでまとめますと、手塚がアメリカで拒絶されたのは手塚のオリジナリティの故だった、という感想です。手塚が若くから頭角を現したのは戦後の混乱期だからこそ、と言えるでしょうがそこに敗戦の衝撃をむすびつけずともよい
@oyomot: @kumi_kaoru そういや、モーツァルトも天才児童という扱いだったと思いますが、当時のオーストリアやドイツのそれは、現代日本と同じ価値観だったと思われますか
@oyomot: @kumi_kaoru 敗戦の断絶と、漫画に性愛や暴力を持ち込んだという話をするなら、いきなり美空ひばりを持ち込むよりは貸本文化圏との関係を考えたほうが繋がると思います。日本の独自性一辺倒で子供が受けるのだというなら、他の銀幕スターの居所がなくなる
@oyomot: @kumi_kaoru 高畑氏の本はお勧めいただいたので1、2冊は読みましたが、わりと扱いの難しい文章だと思いました。
@oyomot: @kumi_kaoru 敗戦に理屈を求めるのは妥当性が高そうに思えますが、戦前戦後の断絶と、戦前からの継続と、どちらを重く見るかというのは意見が分かれると思います。こないだも久美さん、明治維新が、とか、そのへんの話題ふってましたが
@oyomot: @kumi_kaoru 宮崎駿は児童文学のひとですから、まあ児童文学目線になるだろうとは思いますが、宮崎基準が唯一の正解だとは私は思わないので、それぞれの意見もありましょう、程度にしか思わないのですが
@oyomot: @kumi_kaoru いやべつに、こども、だけ大目ってことはないと思いますよ。その他のポルノグラフィも、モザイクだのヘア隠しだの、奇妙な規制こそあれど、ずいぶんとおおらかですし。
@oyomot: @kumi_kaoru そうすると、欧米との価値観がずれている、というお話ということでよいですか。で、アニメーションは子供のためのものである、と。
@oyomot: @kumi_kaoru 庶民文化なんだから性も暴力も表現に盛り込まれるのが当たり前だと思いますが(表現方式の洗練されてく方向は、各国、各文化で異なるでしょうが)
@oyomot: @kumi_kaoru いや、それでいったら、アメコミも性と暴力に溢れてると言われて、コミックスコード導入とかあったわけじゃないですか。
@oyomot: @kumi_kaoru 性愛が既存の舞台劇や映画にまるきりなかったわけでもなし、絵画でヌードがなかったわけでもなし、小説も同じく、文脈は無限にあると思います。なぜそこでマンガのそれになるのでしょう
@oyomot: @kumi_kaoru 読んでますが(書籍も購入してますが)、ネタ元がマンガというだけで、マンガの文脈という話にはならないと思います。素材として題材としてということなら、多くのTVドラマは既存の映画やラジオドラマや舞台劇に元ネタを求めて作ったのは当たり前にあったことですし
@oyomot: RT @hagiiwa: お待たせしました!世界中で私が一番待ちましたっ!!!(;▽;)「銀曜日のおとぎばなし」スタンプ発売開始です!!よろしくおねがいしま=====す!!URL URL
@oyomot: RT @soregasiya: 艦娘のタイプがいろいろ別れてたら面白いだろうなぁという妄想 URL
@oyomot: 劇パト2について、お話としてまとめる上で「こいつを倒せば終わり」っていう明快な犯人を作らんといかんから「虚構の戦争を演出する」とかなっちゃうんだよ、と書いたが、その意味では押井さんのほうがキッチリとまとめようとする人ではあり、重きを置くとこが違うんだな、などと
@oyomot: 「隔離空間に引きこもらないSFもの」であり続けるってのも大概において大変面倒な作業だと思うので、それを「ふつうのおはなしみたいに見せる」ってのは、まあ、十分に名手だとは思うけど
@oyomot: さて、「大きくまとめない」ことに主義主張を見出しうるか、というと、んー。あえていや、ひょうひょうと「社会人もの」という切り込みを続けてることかなあ、とか。学園ものでも軍隊(非日常隔離集団)ものでもない、という言い方でも可。学園に引きこもらないでSFガジェットを扱う
@oyomot: 細かいエピソードを非常に上手くまとめられる手腕の持ち主、というか、そっちで完成されちゃったゆえに、それ以上に大きい大河ドラマなまとめ方をしなくなっちゃったのだろうなあ、とは漠然と思っているのだが、
@oyomot: ゆうきまさみ氏の作品評価のソレ、初期短編集の自作品解説で「当時は16Pあればどんな大河ドラマも描けると思っていた」とゆー人が、連載を開始すると、とたんに「あーる」「パト」「じゃじゃ馬」、、、と、ある意味で「終わらない」「落ちがすっきりしない」路線に行ったとゆーあたりで、
@oyomot: 実写劇パト爆死、という煽りを見かけたが、たぶん製作費とのペイとしては爆死してないんじゃないかなあ。映画配給側と映画館側はどうか知らんが。実物大パトレイバーのデッキアップって、あれ、いくらで貸すのかなあ、とか。まさか映画の宣伝と称して格安で貸したりなんてしてないよね?
@oyomot: ピンナップで得られる報酬のほうが美味しいならキャラデザや原画はピンナップで映える絵に向かうので、動画より止まった絵で映える方向に、絵の傾向が流れるのではないか、などと。まあ何でも言えちゃうな
@oyomot: 雇われる側でしかないから「後世の評価」などいくらあっても稼ぎにならず、せいぜい業界内の評価にしか反映されず、業界内の事情でしか価値がはかられず、充分な見返りが得られないので、「凄い作画」の向かう方向が自己満足にしか向かわず、結果、すごいアニメーターは売れない映画を作る、とか
@oyomot: 「押井守は金をかけては稼げないアニメばかり作って、アニメにスポンサーがつかない風潮を後押しした」という批判があったが、さて。パトレイバーについていえば稼ぐべきものは稼いでるように見受けるが、後からの印税がアニメーターに支払われる制度があればも少し褒められたのではないか
@oyomot: これは余所からもツッコミが入ると思うが、隠喩として話に絡めてるネタだよね>"レイバーの複数カメラの技術についてCGも交えて会話していたので、そう言うメカニックの技術が後半の伏線になるのかと思ったら全くそんなことが無くて"
@oyomot: らしい感想だなあと思った。
@oyomot: RT @nuryouguda: はてなブログに投稿しました #はてなブログ #パトレイバー 要約すると「“二人の軽井沢”いい…」ですP2を見終わりパトレイバーのアニメを全部見て押井さんへの感想 - 玖足手帖-アニメブロURL http:…
@oyomot: 8戦目。ボスS勝利がなかなか安定しそうにないので余所の編成を丸ごとパクってみるが、あんまり意味なく普通にA勝利。掘りのこと考えると乙にランク落とすべきか
@oyomot: @kumi_kaoru 便利に使いすぎてませんか。「アニメーション」を「映画」に、「マンガ」を「TV」に、置き換えて、既存の「TVが映画という映像文化を追放していった」論に合流させても別に困らない程度には、そこに「マンガ」を置く必然が見えないと思います。