「同意」されると噛みつきます

10年よりさらに昔、ホームページとかやってた頃に、
「同意」されると噛みつきます、という注意書きをトップに掲げてた頃があった。たしか。
薫さんとかはそのへん知ってるはずである。彼はそういうの配慮してくれてたっぽい、とこっちで勝手に思っている。
「同意」というのはなんというか、「同意」と書かれたり(今木さんという人がそういう反応の書きかたしたのである)、「そうですね」と相槌されるとか、リンクされて特に反論がないとか、別意見が付記されてないとか、こっちの意見コピペして返すbotのレスみたいなやつとか、そういうのから始まって、肯定的とか好意的とか良い子な扱いされるとか、そういう反応が全部いやだった。耐えられなかった。批判否定されるほうがよかった。
一匹狼とかそういうんじゃなく(つうか当時から一年中「さみしいよう」しか言わない奴である)、単にコミュ障だと思うんだけど、どっちにせよ今でも基本的には変わっていない。
で、同意されるとか引用されるとか嫌だったので、なるたけ、そうならないような文章を書くようになった。偉そうに相手を罵倒するとか、嘘を大目に盛るとか、脱線を多めにするとか、そんな。
じゃあ、何も書かなければいいじゃないか、と言われそうであるが、書くのは殆ど公共に対しての義務感に突き動かされて書いてるので、これはどうしようもない。
あれから10年以上たち、ネット上のコミュニケーションツールも進歩して、機械的に反応するというか、ブクマするとか星印つけるとか、一見して肯定してるのか否定してるのか判らないようなコミュニケーションの形が整ってきたので、昔よりだいぶ楽になった。
当時はネット界隈はやたら密接で注意書きを掲げておかないとどうしようもなかったのだが、そのうちネットが拡散するようになって、無視するとかリンクしないとか一般的な対応でどうとでもなると思って注意書きとかしないでいたのだが、関係各位がなんかわだかまってるようなので、注意書きをずっと掲げたままにしといたほうが良かったのかな、と思わなくもない。
大体、そんなです。