…ものが見えない人、というのはね。

 嘆息ばっかでてきます。小学校の義務教育に、流通見学って欲しいね。

 何であれ数をこなさないといけないという発想が根底にあるのが終わってる。ンなだから見えるものも見えなくなる。積極的にコンビニ論理でしか視野を持とうとせず。「ワタシの視点によれば」教徒は自己防衛でしか発想しないのに、その自己防衛を隠すために「ワタシ」を多用し「ワタシ」に引きこもる。見えないフリのなかに、自分が見ないことそのものを自分に対して見えなくしてしまう。

 元八百屋のセブンオーナーによると、日販60万円のセブンイレブンと、日販15万円の八百屋で、大体、同じぐらいの年収になるという。もちろん、八百屋で15万円を売るというのは、それ相応に大変だし、利益を出すのも大変だ。花屋にしても、季節で極端な増減があるのだが、年間で4、5千万円売ってたら中堅である。4000万を週一休みの年300日で割ったとして、一日に13万円強といったところ。言っとくが、神奈川の話である。

 対して、コンビニは、億単位の年商でないと、そもそも利益が出ない。

 もちろん、10万売って100万の利益を出すことはできない。だから売上は稼ぎの基礎台としては大事だが、それにしたって、メーカーと問屋と小売では、同じものを売るのでも、価格が違うから、売上と会社規模の対比スケールが違う、ぐらいの理解はしていて欲しいものだが。

 もちろん、どんな仕事だろうが、それぞれに労力のかかる方向性というのはある。が、労力の方向性が異なるというのは、乗っかってる仕組みが違う、ということである。仕組み=システム。どぅーゆーあんだすたん?

 コンビニは、1000人の客を二人でこなせる仕組みを作ってんじゃなくて、1000人を二人で回転させねえとオーナー利益が出ない基本システムを組み上げているだけ、なのだけれども。 

 500人に、倍の利益で売る仕組み・システムというのも、他に厳然としてあってさ。あるいは、10人に100倍の利益で売るシステムも。客はもちろん、それぞれの仕組みを学習して・学習させられて、そのシステム上で金を払う。なんでPCエロゲに8800円の価格がついてんのか、という話だ。コンビニですら三十数年の間に売り物の内容は激変してるのに、類似商品を同じ価格帯・同じ利率で売るの前提に頭を固めすぎてやしないか。

 システムとかゆってれば、それで何かを見たふり、というのは、大概にして欲しい。どこまで自分の価値を貶めてくつもりだ。