そうかレミー金髪か、と思い当たる

>もともと子供向きに作ったつもりではないし、高校生以上の大人に主人公の生きざまを楽しんでもらいたかった映画だったのだが、こんな事なら、R指定でも付けておけばよかったと思うときもある。
http://style.fm/as/05_column/shudo174.shtml

 小学生の頃にTV放映されたことがあって、親の業務用ビデオをこっそり繋いでTV録画したのですが、レミーが抽象的表現でもって集団レイプされるシーンは何度も繰り返し見て、そのシーンを見ながら必死に局部をこすって精通を迎えました。部屋を引っくり返せば『哀しみのベラドンナ』VHSテープも出てくると思いますが、抽象表現集団レイプで育ちました、多分。そんな僕でも大人になってみれば「通り一遍の描写が大半でむしろ懐かしい雰囲気すらある陵辱エロゲより純愛ギャルゲーのほうが過激でエロヤバい」と公言できるほど世間に従順で温厚な一般人になれたので、子供への影響なんて気にされなくてもいいのにな〜と思いました。

 さておき、リンク先で述べられてる舞台や実写映画と比較した場合のアニメ脚本の話。

 俺は、ビジュアルノベルについて何かを書かなければならないと思ったとき、上と全く反対のところからはじめた。なにせ知識に欠けるので、自前で「宇宙とは何か」「俺は何者か」から開始してギャルゲのとこまで持っていって(世の中に対する知識量が少ないとそういうことが割と簡単に出来る。いわゆる子供のテツガク・会社社長の哲学だ)、なので、動かないこと、萌えキャラで細かい表情を作れないこと、会話の遣り取りすら途切れ途切れで満足に行えないこと、声優の感情表現の手段がほとんど使えないこと、文字ばかりで先に勧めるのも手間がかかり面倒であること、そういうことは全て克服すべきものではなく「大ヒット」や「感動」や「泣き」や「論考」や「二次創作」や「グッズ」を生み出すような力の源泉とみなした。実際、目の前の素材を捻じ曲げずにそのまま使って生み出されたものたちは、どんな形であれそれだけの力がある。

 なので、<a href="http://twitter.com/J_hagane">「紙芝居」という言葉でまとめること</a>にはあまり同意しない。「紙芝居」という言葉の背後にあるのはレイヤー技術による表現手段の文脈だが、レイヤーはあくまで手段でしかなく、わりと容易に捨てることが可能なので。それ以外の文意はそれなりに。