脈絡のない文章

 エスエフの人たちの自閉の自己弁護はようわからん。

 えーと。文章において、数学って、要するに「いちばん流通してる文字や単語」としての数字にコミットしてるから、いちばんマスであるという部分において、数字を使うとマスに訴えられるというアドバンテージを示せるわけですよね。で、より多くの人に読んで判ってもらうために、数字とそれにかかわる文法としての数学というのがあるわけですよね。

 なんだけど、数字使いって、もっと凄い上位概念であることを求めますよね。いや、言霊使いを称揚したがる人たちは誰でも、どんなジャンルでもそうだから、それはまあ、別にいいんだけど。

 で。

 図形というのが、幾何学とかの労力によって、なぜか数学に組み込まれてるじゃないですか。で、図形パワーと数字パワーを組み合わせる考え方というのが、ものごっつう、出張ってくるじゃないですか。映像社会だし。会社で毎日帳簿見ててふと横を見ると、エクセルの入力した数字でグラフを作るのが好きな人がグラフをやたら眺めててですね。なんで数字見れば判る程度のものをグラフにしたがるかなぁ等と不思議に思って数字という文字が嫌いなのかなーとか想像したのですけど。

 んで、そういや理系の人はグラフ好きというイメージあるなぁ、などと思いまして。グラフ文化と数字文化みたいのがどっかにあるのかなーと。

 雑感なのでオチは特にないです。