思いつきについて解釈してみる

 イオンがファスト風土化とかそーゆー奇妙な用語を使われるのに対しコンビニがグローバリゼーションとか言われないのは何でかというと、コンビニはグローバリゼーションじゃないからで。たぶん、かなり即物的で空想社会主義的な未来イメージに即してる。昔オタキングだった人がコンビニ弁当を指して昔のエスエフ未来予想図の「コンソールを操作すると壁がパカッとあいて出来たて料理が出てくる自動調理装置の実現したもの」とゆー話をコラムで書いてたのだが、確かにコンビニの独特の景観にしろ雰囲気にしろどっか荒俣宏が紹介してそうな19世紀〜20世紀初のユートピア志向エスエフ未来予想図(の裏返しのディストピア)ぽい。(ドミナント出店手法なんか、とりわけ)

「セレブでグローバルでハイカルチャーをより安く世界の万民に」てのがイオンやスタバやファスト風土という造語で敵を作り出そうとしてた人たちの描いたトレンドとして。そこにディズニーランドやコンビニは入るんか。ミッキーマウスというキャラクターアイコンはセレブでハイカルチャーか。あるいは日本全国の道路沿いにある焼肉屋はわりとご当地チェーンが頑張ってるが、焼肉屋ファスト風土という言葉のイメージの扱う範囲か。

 例えばスタバの人の顔を模したアイコンはキャラクターとは言わない。一方で、マクドナルドのドナルドはイメージキャラとして黒鼠を遥かに凌駕していわく言いがたい普遍性を獲得してる。28年前のセブンイレブンのレジまわりには、いかにもアメリカ風の赤毛少女のキャラクターが大きく描かれていた。コンビニにもイメージキャラクターを示す方向性がありえたのに、それは割と早い段階で消えた。そのかわりに鈴木敏文とゆー個性というよりか何かキミョーなイコンが析出されてしまったのだがさておき。キャラクターのかわりに<a href="http://masayukigt.blog123.fc2.com/blog-entry-10.html">レンガタイルの建物そのものが個性と化した。</a>

 看板じゃなく建物そのもので主張するとゆーのは結界的で。結界の内側に人をとりこんどくテーマパークのもちろん裏返しだが。客が実際に利用する際の意識のあり方として結界への自覚と捉え方のズレがディズニー某とコンビニの差ではないかと。無意識的であるような意識と、意識的であるような無意識といった。