そーゆーものだといわれても

 とりあえず両刃のナイフを相手の腹に刺したげて相手が膝を折りかけたあたりでおもむろにかけてあげる言葉だと思うの。よその星の人は違うといわれても、タコ火星人に腹はないが僕にはある。

 前に「母なる夜」を読んで薦めてくれた人に「もうちっと徹底的に追い詰めてもよくね?」と言ったら「うんまあ希望に溢れた話だからね」と微妙そうな反応がかえってきて、ボガネットも読んだら読んだだけ敵を増やしそうだなーという判断が働いて避けてたり。

///

 誰かのはてなアンテナのインフォで見かけたのだけど、ダークナイトバットマンジョーカーもみんな働きすぎた、という感想があって。間違っちゃいないが言っても詮無い話ではある。

 ジョーカーさんは必死だ。つか、ピエロてのは何をやるにも必死なのを傍から笑われる存在で、道化の顔をしたジョーカーさんは設定存在意義のレベルからして常に何かに向かって必死であり続ける。

 劇中で実際に使われる"Why so serious?"を、日本語字幕では「なに、しかめツラしてんだよ」と訳してた。自分のあの笑い顔に合わせて他人の頬を切り裂くかのようにナイフを相手に突きつけるときの台詞。

 チャップリンの必死で事態に対処しようとして空回りする道化ぶりなり、あるいは時計じかけのオレンジでの"Singin'in the Rain"を唄いながらのくだりなり、何をイメージするかはさておき、ジョーカーさんの姿はどうしようもなく過去の映像作品を想起させる。バートン版バットマンをことさらに想起させようというダークナイト予告編さえも、そうした演出なのではないかとすら思えてしまう。

 ジョーカーさんは過去に追いかけられ続ける。事実にも存在にも無縁であるはずの道化であるのに、伝統と歴史を押し付けられ、実体であるよう求められる。それでもなお道化として振る舞い、その道化の象徴である笑い顔を、相手に貼り付けるかに見えるタイミングで語りかける。

"Why so serious?"

 でも、作中では、彼は相手の頬を実際に切り裂いたりしない。同じ顔を作って鏡と向き合うことは劇中ではついに行わない。代わりに出来そこないの相棒に自己の由来を押し付けようとするだけだ。

 端役の頃のチャップリンの演技というのを見たが、実写の上にセル一枚かぶせて描かれた落書きのようだった。ジョーカーさんもまた紙ペラ一枚の上から問いを発しているのじゃなかったか。