戦争の話の続き

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200809181520

 これで合ってるのかな?

 まず、「戦争」ていう言葉を巡るいろいろを、組織(国や宗教)や場(戦場という特殊空間)が支えてくれなくなって、結果としてどれについても個人レベルで請け負うようになって、人は普通そんなことを引き受けられないという部分までは、番組や本の趣旨にあって、そこまでは同意できる。(それを発砲率と結びつけるのは同意できない。)

 なので人は物事を引き受けてくれる何かを求めるわけですが、穏当にいけば「冷戦の頃は良かったな」、ちょいと性質が悪くなると「イスラム原理主義は悪」、そのへんに収まるのが普通だろうし、まぁ、僕なんかも、アメリカの人たちはきっとそのへんの図式で頭の中を整理してくんだろうな、とか思ってて。

 で、あの番組のラストのバーチャル射撃で兵士のPTSDを治療に寄与というのを見てね、あ、もっとダメだと。何が悪なのか、どういうのがイスラム原理主義なのかまで組織も場も請け負ってくれないとなったとき、それを銃を持ってるテロリストのCGを選んで撃つことに転移させるのだとしたら、その図像が示してるのは、言ってみれば世界悪のようなイメージを身にまとった神です。信仰を作ってる。人間ヤッパ単純化した図式を常識や信仰のレベルで持ってないと効率よく動くことは出来ないわけで(何かやるたび複雑な事情に思い至ってたら経済的じゃないわけで)、それは人を殺すのでも変わらないと思うのですが、それを倫理とか社会構造とかすっ飛ばした仮構の領域に持ち込んでしまっててね。

 何でも外部化する発想の基に、心も外部化しましょう、ヒステリーの原因は心理的「外傷」ですよというのがああいう考えかたの根拠なんだとしてね。でも、テロ対策を犯罪への対処から戦争に切り替えましたとか、外部化ここに極まれりの延長上で何故かイラクで戦争して駐留するはめになって、外へのはけ口としてイスラム原理主義なり何なりを求めてね、その部分をシンクロさせちゃったら、それこそ無限ループじゃないの、という。

 目に見える場所に転移さすべき「外」が見当たらないから抱え込んでPTSDになったのに、その「外」を奇天烈なバーチャル様に転移するよう求めるのだから、それはつまりゲームの中に神と生を見出せつって追い込んでるんよ。言語化した心理が戦争の根拠になるなら帰る場所はどこに?