正しいという

 とりあえず、常識という見地を振りかざした場合、今回の番組について非難の矛先を向けるべきは

・戦争の悲惨さというトーンで割と無関係な話を繋いでく番組構成
・その番組構成の根拠になってる本の内容構成

 が最初に来ると思うの。で、そゆのに説得力を持たせちゃう背景の

銃社会アメリ
・いかにも悲惨であるような戦争遂行を何故か後押しするイデオロギー

 あたりを指摘してみせんのが、ブロガー気取りたい向きだと思うの。

「身近に迫る死の恐怖」と「人を殺してしまった罪悪感」とは、昔は微妙に別に扱われてたはずなんだけど。とりわけPTSDなんて言葉を使うんだったら、レイプされた女性もPTSDで苦しんでますよとゆーのがあったりして、そこに「女性をレイプしてしまった罪悪感でPTSDに」とか言わない。

 で、それをひと括りにするのが「戦場の過酷なストレス」だけど。イラクの治安維持活動やってる場所は「戦場」か? かつての大雑把な定義では「戦場」じゃなかった場だから一般人とテロリストを見分けて撃つ必要があるんじゃないか? そんな過酷な現地の住人の精神面のケアはどうなってんだ? と、一本道のストーリーとしては、あちこち欠けが大きい。

 にも関わらず確実に言えるのは、アメリカはイラクで戦争かそれに近い状態でいると当事者も周囲も思ってて、そのイメージを裏付けるぐらい犠牲者を出し続けていること。もちろん理不尽な死が大量生産されるのは戦場だけじゃないけども、内戦でも紛争でもどっちでもいいが、僕あたりのイメージする「悲惨な戦争」と言っていい。

 ところが、そういう意味での戦争状態というのと、この番組を成り立たせる「戦争」のイメージとは、多分、どこまで行ってもすれ違う。主観的な意味と客観的な意味の差異とでもいうか、「人を殺す」という行為を身のうちに取り込む意味合いでの戦争を兵士が受け入れる訓練、それを世間が肯定するのは「正しさ」のゆえで。国益なんて言葉は外からの批評的態度からしか使われない。実際の戦場の過酷さに覆い隠されて、問い直されることのなくなった「正しさ」が薄く広く全体を包んで、あの場にある「戦争」を二つに切り分けている。そして、あの番組を成立させているイメージもまた問われないことを経由して「正しさ」に合流してる。

 当り前のことを言ってるつもりですが、どっかに続く。