いいことを言ってる人がいるのでリンク

>>何となくだが、いないような気がする。昔と今だと貞操に対する感覚も違うし、パンツや半ヌードから目を逸らしてたら今のオタ流行と繋がりようがないつー現実的な問題もあるし。

>端的に述べればおっさん臭いわ、それ。
>遡れば現在において古典としかいいようのない、平安時代でも江戸でも明治でも昭和初期でもいいけど、の文学なり芸能なりのヒロインに対する懸想(仮想と幻想を伴う以上、別に近所の女の子に対する恋心でも同じだが)に比べて昔と今だと貞操に対する感覚も違うし今の若い連中には「恋愛」出来ないんじゃね? と10年前でも20年前でも30年前でも言えるだろ、そりゃ、ほとんど常に、上の世代からは。
>や。特異点としての「恋愛」の成立の現場、みたいな文化史的観点とか持ち出すとあれだが、少しややこしいが、ややこしいので省く。
>自身の体験した恋愛のみをカッコでくくって特別視するような態度は、究極的にはそれを基準とした思考と判断せざるをえないにしろ、少なくとも自明ではないものとして保留の必要があるんじゃなかろか。
>疑問自体は理解しなくもないが、その問いは別の形をとるべきだろうように思う。
>考えようによっては現代において現在たぎってる世代の「恋愛」こそがつつしみぶかくそれゆえに不可視になってる可能性だって否定できないのだ。いちいち萌え萌え言ったり純愛表明せずに、あるいは表向きそのようにはしゃいでみせつつ、しかしまさに竜宮レナにひそやかに恋してる若者がいたって別に変でもなんでもないし、それにとりたてて困難さ不可能性があるわけでなし。
Fateは文学CLANNADは人生 、だってまあ、可笑しく感じはするけど嘲笑うようなものではないしな。
>つーかさ。異性の裸をどれほど見ようと、どんだけ性体験重ねようと、それでもなお恋愛は可能だろう。逆説的にはそのようなものとして定義するコトさえ不自然ではあるまい。
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20080628/p2

 こーゆー良い事を言う人が「「萌え」概念の多義性」「狭義の(性的眼差しを否定しきれはしないが、性愛的欲望をもって第一義としないという立場の)萌え」と書くのが何故か全く理解できないのだけども。アレか、恋愛は性とどう混ざってても恋愛だが「萌え」は性愛とは微妙にズレてて欲しいというオタ願望か。「萌え」には内面的な意味で定義可能な中身や本質があって欲しいのか。