エロゲ、というけども

 西尾維新にしてもソレにしても小説の構造という価値体系を押し付けられてる気分になる、てところに行き着くんだと思います。だから、その先はどうにも接点の見出しようがない。

 もちろん、根気よく小説の読者の一人一人と対話していって、一人づつと接点を見出すことは原理的には可能だと思いますが、そうじゃない「僕が観察するところの総体としての小説の読者」との接点を見出せそうにないという話です。

 他の読者は関係ない、小説と読んだ自分との間の問題だろうと言われるかもしれませんが、それは「感想をネットにあげる」という部分と矛盾するので、ネット上に書く文章では小説と僕個人との間の私的関係はとてもじゃないけど書けないので。

 というか、そういう私的関係を書いたらそれは小説という形になるんだろうな、と。