おもしれー

機動戦士ガンダム」を見た。ククルスドアンまで。

再放送を山ほどやってたので半分程度は見てるはずなのだが、続けて全部を見たことはなかった。
何で今頃つったらコードギアス見てたら長年のわだかまりが解きほぐされて、ま、見てやってもいいかな、と寛容な気持ちになったのである。定期的に小遣いがもらえる制度の存在をセレブ世界の出来事だと思っていた小学生時代、周囲がガンダムでさんざ盛り上がってる中、2ヶ月、3ヶ月、ただ毎日、商店街の玩具屋のプラモコーナーの前に立ってガンプラが並んでいるのを指をくわえて眺め続けた日々の果てに遂に買ってもらったザクキャノン500円也を、もったいなくて組み立てられずにいるうちに近所のいじめっ子に無理やり350円だかのバルキリーと交換させられた経験以来、ぼくにおいてガンダムを見て素直に喜んでいられるのは人生の勝ち組、他人を蹴落として知らぬふりをしていられる、都合の悪いことは忘れていくイジメる側の連中だけであると定義されていたのだが、流石に30過ぎれば生きてることは他人を蹴落とすこととイコールだと嫌でも気づくしかないし、俺も所詮は他人を押しのけ踏みにじり自分の言動の影響で自殺した人間がいることを忘れてヘラヘラ笑っていられるモノになったのだからどっちでもよかろう、ぐらいな気にはなっていたのだが、まあ経緯もあって手出しする気にならなかったのをコードギアスが後押ししてくれたのである。ありがとう谷口監督。
ちなみにZもZZも知ったこっちゃないが、ターンエーとゲイナーはDVD買ってる。昔の劇場版の類は義務だと思って見た。

つうわけで機動戦士ガンダムである。序盤の密度の濃さは確かに異常だ。2〜4話あたりホワイトベースでのブライトやミライ、セイラの会話の削れ方に痺れます。シナリオを進めてるだけの説明台詞なのにキャラクターの骨と骨が直接触れ合って軋んでるようにして立ってる。これに比べたらシャアの有名な決め台詞なんて、決めるためにざーとらしく吐いてるだけでまるでやわっこい。つまりあれです、会話が上手い。「戦争状態という極限に放り出された漂流教室」、つまりは「キャラクターの外側に社会がなくて、いきなり世界がある」セカイ系だからステレオタイプな剥き出しのキャラクターの原型がガチンコでぶつかり合って、凄まじい音が響き渡る。ここだけでDVDを買いたくなりました。