http://d.hatena.ne.jp/laco/20060708
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そこでポストモダンという奇妙なキーワードに転じて、まだ思いつきの域を出ていないが、一つ言えると思うのは、少女まんがは「萌え」を必要としないがゆえに最近勢いがないのだと思っている。不幸にも、「萌え」を必要としないことが理解されていないのだ。

このへん、最近の「りぼん作家」の絵柄の話に出来ないかなあ、と思った。
りぼん掲載作品全般に見られるコマ割り(隙間恐怖症のようにコマ間の空白を排除する)についての言及は『NANA』がらみできっと誰かがやってると思うのだけど、それと合わせて、高須賀由枝あたりの「1ページに決め絵の顔は一つ、あとはデフォルメ顔ていうバランス配分」に辿り付いてるのは、キャラクター単位での構成を余儀なくされてる状態への対応だと思う。
例えば、「LaLa」の作家だけども、高須賀由枝とも交流がある森生まさみが言うには、デフォルメされたキャラクターイラストは読者全員プレゼントや「ふろく」のデザインの際に使いやすいんで編集部的には歓迎されるそうな。
で、そーゆーデフォルメデザインを逆手にとってページ全体のレイアウト内に取り込む感覚、というのはごく当り前に受け入れられると思うんだけど、それが高須賀由枝のレベルまで進行してったら、かなり特殊だ。