@oyomot: コンビニ店主が地主である率は低いので事実ならすごいとばっちり/地上げ自体はつい数年前の近所でもあったし/ヤクザ屋さんも人手不足でなり手がいないって話/ / “【悲報】土下座事件のファミリーマート茨木横江店が潰れそうになっている!み…” URL
@oyomot: 劇画的な、リアルな、「実写」的な手法で描いていくには無理があるのが「美少女の顔」という異物であった時代があり、それをどのように取り込んでいくかはササキバラゴウ「美少女の現代史」でも取り上げられていて士郎正宗の例が挙げられていたけど、あだち充のそれもまた言及可能ではないか
@oyomot: 劇画の手段としてのカメラアングルを駆使して表情を読者の創造に委ねることで、美少女(RTの例でいえば美少年も含みますね)の顔を崩さずに、繊細な心理描写やドラマ描写を、モノローグに頼らずに表現する、そういうアプローチとしての「後姿」じゃないか
@oyomot: けど、それだけだと限界ある。けども、顔を崩さないまま、美しいまま、美少女というフォーマットを守ったまま、描写するのは大変に難しい(少女マンガはモノローグという武器を駆使していたし、そのへんスルーできたのではないか)。そんなとき、あだち充がとった戦略が「表情を見せない」ではないか
@oyomot: 手塚治虫の頃のように、記号化し、デフォルメして表情をつけてくのはできる。けど、劇画のように「リアル」に、つまり記号化を避けて実写映画を撮るようにドラマを作らないといけない、大仰な演技でなく繊細な演技をつけてかなきゃいけない、となったときに、「美少女」のまま表情をつけるのが難しい
@oyomot: でもたぶん、少女マンガのほうが、ドンドンと別系統の進化を経て、「劇画的な美女より少女マンガ的な美少女のほうがいい」っていうことで、少年漫画とかの中にあだち充とかが「美少女」を投入してったときに、劇画のコマ割、つまり映画のカメラワークに準じたそれの中で、無理が生じたのが「表情」で
@oyomot: 「人物のリアルな描写」を標榜して、まあ、表現運動としてイデオロギー込みで立ち上がった「劇画」の歴史観からすると、ゴルゴの美女が「リアル」で「緻密」で「書き分けができている」、はずなんですよ。イデオロギーとして。表現として。そこに、今の少女マンガ系萌え美少女の入る隙はなかった、と
@oyomot: マンガ表現の話、四方田犬彦が「マンガ原論」でね、「高橋留美子のキャラは見分けがつかない」とツッコミを入れる一方で、「それに比較してマンガ界で最も美女の表情描写が繊細なのはコレだ!」と、ゴルゴ13を提示してたんですよね。今だとギャグにしか思えないかもしれない比較なんだけど
@oyomot: RTした件、前に「あだち去を数えてみた」URL て記事が話題になったときに気になって確認してみたんだけど、後姿や、後姿で喋らせるシーン元々多いんですよ。んでね、それはたぶん劇画の影響下で「美少女」に表情をつけるのが難しかったからじゃないか
@oyomot: RT @gessanofficial: アメトーク「タッチ芸人」をあだち充先生も観ていたそうです。「オチのミスターポーゴは最高だった」と嬉しそうでした。しかし!原作者あだち充本人が〈上杉達也はどれだクイズ〉にまさかの全問不正解!「あんなのわかるわけないだろ」と衝撃コメント。 h…
@oyomot: RT @msugaya: 最近、描いた『ゲームセンターあらし』です。ペンタッチは、衰えてません(自画自賛)(笑)。 URL