高校生活を舞台にしてる時点で(社会人や大学生にとっては)ノスタルジーで、ノスタルジックな風景に本来の高校生ではありえない社会人並みの能力、つまり我々や我々の将来の(こうなりたかった)姿を投影する、て時点で既に「やりなおし」であって、その事実に目を逸らしてしまった場合、SF的志向からすれば既に敗北してるわけですが、その敗戦経験をどう扱うかだと思います。
『S/T/T』はそのへんの処理、上手いと思いますけど。「ならなかった」「なれなかった」よりかは、なぜ「都市設計屋になった」と書くのではなく「自転車屋にならなかった」と書いたのか、と考えたほうが良いような。
(僕個人は『サマー/タイム/トラベラー』にも『涼宮ハルヒの憂鬱』にも別に何の屈託も拘りもないです。『さくらむすび』でSFガジェットに頼らなくても武器を手にしなくても「現実」に宣戦布告し「世界」を覆すことが出来るって知ってしまってるので。)