かつてメイドや幼なじみや妹や好まれたとき、そこで問題となったのは承認や肯定であったろう。ツンデレが我々に与えるのは自己の固有性の感覚である。
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20060510#p3

「出演者」から「観客」への変遷、という話かなと。
素直クールてのはふたばの一枚絵からの誕生、てのが曲者なんじゃないかと思いますが。実際にキャラクターとしての素直クールを探せ、てなると「物語化不可能性」なんてのとは程遠いというか、いやデレるし、みたいな。沢渡真琴のような麻枝星の住人以外ではありえないようなキャラクターですら内面を幻視することはごく当り前に行われてしまいます。それがどれほど麻枝信者にとって馬鹿馬鹿しく見えさえする内面であろうとも。
原理的には物語化されないキャラクターなんてそも存在しえない、てのはさておき、例えばエロゲーあたりで物語化されないキャラクターてのは「抜きゲー」て呼ばれるような普通にクリックしてて5分ごとにエロシーンに突入するようなゲームの娘さんたちのようなのを言うんじゃないかしら。多分、エロゲー発では「素直クール」の概念は発生し得なかった。
お話的にでっちあげるならツンデレていう概念自体が抱える発展性のなさ(語義通りに属性を捉えるならストーリーに密着するしかないので「属性に準拠」した二次創作展開のバリエーションが乏しい)にふたばの回転速度が異議を唱えた、てことなんでしょうけど。素直クールを巡る概念構築の過程において「ストーリーを自力で組み立てる知的負担に耐えかねたひとびと」というのは存在しなかったんじゃないかと。
むしろツンデレ属性の安定した発展を求める欲望こそが対立概念を呼び込んだ、ぐらい言ってやったほうが。