MMOアンソロジーがやおいになってるって話

・「PC対NPC→PC対PCという物語成立の変容」
id:hiyokoya:20060223#p1
萌える萌えない関連の話ではここんところで一番面白いと思われる話題。直前で挙げられていた韓国と日本のゲーム論の立脚点の差の話

韓国における「ゲームの物語論」ではプレイヤ/プレイヤキャラクタの乖離が問題化されていないということです。くりかえしになりますが、これはやはり普及したジャンルがRPGだったのか、あるいはMMOだったのかというジャンルの格差が言説形成に影響をおよぼしている
id:hiyokoya:20060222#p1

とも重なってます。
で、僕らにとってまず気になるのは「PC対NPC→PC対PCという物語成立の変容」というタイトル。エロゲーやギャルゲーで発展してきたビジュアルノベル、ノベルADVといったノベルゲームが「 PC 対 NPCNPCNPC 」という形でそのシナリオ内容(およびシステム)を徐々に変化させてきた経緯を知っているからです。そして「 PC 対 NPC 」の恋愛感情を大問題として喧々ガクガク大騒ぎで論じてきた人たちがいたことも知っている。ノベルゲームと MMORPG を旧来の RPG の分裂した二つの系譜として捉えている人は多いとは思いますが、それをコミカライズの視点から捉えてみせるというのが非常に面白くて目新しい。そして、その結果が上記のようなタイトルになったというのが想像力を刺激してくれるわけで。

プレイヤー同士の間の共通体験というのはほとんどが「初心者だった時期がある」「転職を経験した」「ペットを飼うことができる」といったかなりシステム的な水準での経験の共有性しかなくて、それ以外には共通体験の枠組みを見出せていない
(中略)
一人用RPGの場合はNPCの中に人間的なものを仮託して物語を見出していくのが通常ですが、ここではPCとの間で発生した事件を物語化していくという手立てばかりが語られていきます。

その結果として出てきた物語の手法というのが、プレイヤーキャラクター同士の恋愛を取り扱うというもの。で、その説明を追いかけていくと判るんだけれども、どうもこれ「やおい同人誌」の考え方、手法を思い出させる。
例えば

「初心者」が極めて重要な機能をもっています
(中略)
初心者として上級者に接するときは、上級者は「憧れの対象」としてあらわれ、上級者として初心者に接するときは、初心者は「守るべき赤子」として描かれる。この教える/学ぶ関係のよーなところから、というか…ほとんどここを中心に恋愛が駆動されていますね。

MMORPGでシステム上必然として受け入れなければならない人間関係の規定を恋愛の形にスライドさせる。これはBLの攻め(=男性の役割)と受け(=女性の役割)を中心にストーリーを組み立てる手法と基本的には同じ。

男性優位主義と女性嫌悪の感情を抱えたままで、なんとかして女性である自分を――すべての女性は無理だとしても、自分の「女」の部分だけでも――救済することはできないだろうか?
――それを可能にするミラクルが、実はBLなのです。
BLでは、<女らしさ>とか<女の役割>といわれる様々な要素が、「受け」によって演じられています。男性キャラが、自らの心と体でもって<女の役割>をほってくれます。*1
(中略)
本の中の世界では、「受け」は読者の望む<女の役割>を演じ、「攻め」はその「受け」を愛します。二人の男性が二人がかりで、読者の望む「女」の部分を肯定してくれる格好になります。
(小泉蜜「極私的BL論「男と男」に託されたもの」日経BPムック ライトノベル完全読本Vol.3掲載)

「初心者」=「現実の男性優位社会における女性の社会的立場」=「受け」なのは言うまでもないと思われます。
さらに、ラグナ4コマのほうの

「最初に萌える対象」はモニターの向こう側にいるプレイヤーのメンタルな部分とかではもちろんなくてプレイヤーキャラクターのグラフィック水準でまずは、萌えていることを多くの人が表明しています。

の部分。これはBLの

BLの作品においては、必ずしも同性愛が好意的に描かれているわけではないことが分かります。BLの世界では、恋に落ちる理由は相手が「女だから」でも「男だから」でもあってはならず、「君だから」でなければならないことが、これまた「お約束」になっています。このお約束を死守するためなら、場合によっては「攻め」「受け」の本人たちが同性愛について否定的なセリフを発したりすることも珍しくありません。

という態度と対になっている。それは Critique of games での記事の最後の

プレイヤーは恋愛に深くコミットメントするための最終的な判断基準としては、やはりプレイヤーの生物学的な性に依拠しつつも、単に動物的な「萌え」を表明する程度においては、プレイヤーキャラクターレベルでの恋愛をガンガンやってしまう。

という洞察が上記のBLのそれと重なりあっていることからも裏付けられます。

この話をどう扱うかは難しそうです。とりあえず「やおい」と「萌え」の読み取り方が前者が関係性に注目し、後者が個々のキャラクターに注目するというふうに作品の対象の分解の手法が異なっている*2ことを確認するに留めておきます。その先は面倒くさい。

*1:原文ママ

*2:id:tdaidouji:20050323参照のこと