変身した姿でしか話せない相手の不在

プリキュアのドラマ展開が苦しいのは、変身後の姿だけの人間関係がないため。
魔女っ子メグや魔法使いサリー等は出自が魔法使いの社会もしくは人間以外の異種族であり、魔法を使うのは彼らの生まれ育った環境に準じた行動だ。変身ヒロインという言い方をするなら、変身後こそが彼女達の本来の姿。
次にクリーミィマミやマジカルエミ。変身後の姿で周囲の身近な人間達と触れあい、新たな人間関係を構築していく。恋愛関係も当然これに含まれる。
人間関係、要するに観念的なお題目ではなく、変身前、変身後それぞれに、具体的な話相手が画面上に居るか、目に見える形で魔法という異社会習俗が提供されているか、という話。変身後に敵としか会わないのでは、変身=義務=嫌なことと見えてしまうのは仕方ない。正義の味方としての義務感が比較的強いかに見えるセーラームーンにしたところで、変身すればタキシード仮面と逢えるという余禄があった。
ピッチの場合、るちあは言うまでもなく異種族だし、海斗との関係でも「人間に告白したら泡になってしまう」という条件下でマーメイドの姿と人間の姿とでそれぞれに逢瀬を重ねていく。海斗とのジレンマが解消されたピュアでは、あの冒頭30秒「海斗、きっと思い出してくれるよね…星羅、かならず助けてあげるからね」が象徴的。星羅はきちんと顔を見せていく。また、波音とリナの恋愛模様を最後まできっちり追いかけることでピッチで先送りにされたテーマから逃げなかったという言い方もできる。…正確な言い方じゃないけど(ピッチは語るのが難しい)

プリキュアはどうか。ほのかとなぎさはプリキュアとして出会う前からクラスメートの顔見知り。プリキュアとして行動を共にするようになってからは変身前のプライベートでもベッタリとくっついている。この二人はお互い以外の変身後の人間関係が人間世界において存在しない。恥ずかしい格好で戦って傷ついてもイケメンと知り合えるわけでもない。そんなもん、過剰な責任感や義務感(電波じみた思い込み)なくしてやってられるか。言うまでもないと思うが、戦闘シーンの運動描写のカッコよさ美しさは視聴者の価値観であって作品内の動機とはなりえない。

では変身後の人間関係を構築すればいいのかというと、ここでコスプレヒロインであることが致命的問題となる。つまり変身が服の着替えだけで、変身前の知り合いが顔を見たら同一人物だとバレてしまうという設定のヒロインは、変身後の姿で顔見知りと新たな人間関係を構築するというマジカルエミの手法は使えない。また、二人がラブラブ百合カップルでなければならないという縛りにより、二人の側に「変身すればあの人に逢える」という動機を組み込む手もタブーとなる。二人を追いかける新聞記者などを配置しようにも、現実世界ではザケンナーによる被害は発生していない。片っ端から建物も直る。二人の戦いが半ば非現実であることが、変身後に現実の人間関係を発生させることを不可能にする。