あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。最終話まで

 見終わった直後に同じディスクに「30歳の保健体育」が1話から入っていたので、そのままの流れで視聴することになったのが一番面白かった。

 実質的な話の本筋が存在せず、なんとなく、その時々の情感のみに身をまかせて「泣ける話」をやるんだけれども、形式・外見的にはストーリーが進行しているように見えるとゆー作りは、「けいおん!」とやってることはあまり変わらない。一人突出してストーリーを牽引するはずのめんまの位置づけが、それでいてそこまで強く何かを引っ張っているわけでもないあたり、「死んで幽霊になってるキャラ」というのは、あずまんが大王のちよちゃんの「飛び級で高校生になった天才児童」のような位置づけなんだろう。

 天才が天才として機能していないのはともかく、死が死として機能していないというのは、お話として異常ではある。実際、とってつけたような後半の展開にしても、「成仏」という言い方が実に収まりが悪く、作中で起きていることと噛み合ってる気がしない。桜高軽音部は卒業しても4人とも大学一緒です、といって非難されたの以上に、超平和バスターズは誰が死んでも成仏しても6人とも変わりません、というふうに見える。この宙吊りを解消する手立ては示されておらず。過去と決別とかひと夏の思い出とか、あるいは変わっていく僕らは少しだけ過去を振り返って、のような収まりのいい話には、少なくともなっていない。

 かなり、不穏な代物。

  • 追記

説明が足りてない気がしたので。
さんかれあ」とか、まぁ、幽霊ゾンビ異世界からの来訪者なんでもいいけど、そゆのでドタバタというと「いって欲しくない」とゆって大騒ぎするフェイズがあるじゃない。死者が、そこにいることに意味があったんだ、とゆー、そのことが「弔い」なんだと言いそうなもんだけど、そういう判りやすいこと全然やらないよね。めんま好きだー、とかそんなんばっかで。人間関係構築不全で孤立したままなイマドキをよく掬い取ってる、と言えそうではあるんだけど、作中で人間関係について積み上げて先へ持っていく気がないでしょ。