@oyomot: 原作の途中の、いちばん盛り上がる手前で打ち切りのようにして終了、そのあとは改変展開というよりはイメージショットで無理くりハッピーエンド感を演出という感じ。なんであそこで終わったのかはよく知らない。 URL
@oyomot: RT @Toyokeizai: 【起こるべくして起きたVW「排ガス不正」の真相】 閉鎖的なのは役員会だけではなかった: URL URL
@oyomot: ちなみにゲーム化も文句言われにくい。なので時折原作クラッシュなどという陳腐な概念を越えた超絶作が発生し10年後ぐらいにネットで持て囃されることもしばしば。 / “お前らアニメ化や映画化にすごい神経質なのにコミカライズは叩かないのな…” URL
@oyomot: アニメの屍鬼のことをつらつらと考えてる矢先に藤崎竜で銀英伝とゆー個人的タイムリー感。封神演義も銀英伝も中国古典ネタの翻案という意味では同じ路線なんで、わりと納得がいく。屍鬼は正直、食わず嫌いでいたらアニメ見て評価がひっくり返ったので(だって、あの髪型でホラーとか普通はさあ)期待
@oyomot: 艦これアニメの艤装の装着シーンに無駄に凝るの、魔法少女の変身シーンを踏襲してるつもりだろうけど、ミンキーモモとか変身後にバトルないから見せ場のバンクに変身が選択されたんで、「戦闘」に軸を置きたいんだったら本当は必殺技でっちあげて「吹雪バスター!!」とか叫ばせれば良かったんだよ
@oyomot: まあ、結局、「なんで巨大ロボという意味不明なオモチャで戦争しててリアルとかいう単語がでてくるの?」という話だと思いました。なあなあでスルーしながらやってるから応用がきかない。ちょっと伝統路線から外れると途端に説得力がなくなる。そして伝統芸に回帰する。つまりアニメファンの支持の問題
@oyomot: つまりアイドルアニメとしてのフォーマットに沿ってきちんと作ってるモバマスアニメ。戦闘美少女ものというフォーマットが見定めできてない艦これアニメ、という差。戦闘美少女ものについては、そもそも日本のロボットアニメとかが「ファンと作り手のなあなあ」で成立してる伝統芸なので
@oyomot: シンデレラガールズ(第一期)を見て思ったのは、シナリオ構成担当者のやってることは驚くほど似てる、という。違うのは「ぼぼ毎回、歌が入る・ステージを見せるのがアニメの仕事」という軸がきちんとしてたことと、「戦闘が盛り上がりシーンとして設定されてるのに戦闘の扱いがいいかげん」の差
@oyomot: RT @BARSERGA: アイマスを見続けて思ったこと。・アイドルとして成功するという大目標さえあれば作品としてなんとかなる。・公式側が二次創作、あるいは中の人ネタを取り入れても受け入れられることがある。・性格がブレてもなんとかなる。・アニメで盛り返すこともある。つ…
@oyomot: RT @ikaboku: 艦これで学んだ事・基幹となる設定をつけておかないと作品として成り立たなくなる・公式側が二次設定逆輸入すると多数決の暴力による悲劇しか起きなくなる・台詞考える奴を一人に任せるとロクなのができない・ZUNが東方のアニメ化を頑なに拒否った理由
@oyomot: RT @nobuyukiisshiki: 難民ロックバンド、思いがけない「欧州亡命ツアー」 (AFP=時事) - Yahoo!ニュースこれ映画にしたい!!! URL
@oyomot: 世間があさえだでもりあがってるなか(へんかんするのめんどくさい)天体のメソッド。手堅い。というかもう幼少時の記憶であるとかは捨てネタとまではいかなくとも、どんどん使い捨ててくんだなあ。