「アメリカン・スナイパー」

ネタバレなし感想。
奥さんがモデル系美女すぎて、正直そこがいちばん乗れなかった。ダークナイトのヒロインまでいかなくとも、もう少しこう、なんとかならなかったのか。
 
 
 
ネタバレあり感想。
実在の、つい2、3年前まで生きてた人物をモデルにしてるのだが、そこからのヒーロー化度合いが適切な距離感なのかどうかに、まず戸惑う。
 
自分が見た感想としては、映画的なヒーローというよりはアメコミちっくなヒーロー像に近い気がした。あるいは実際の本人自体が非常にシンプルな価値観の持ち主(イカにもテキサス共和党風味の偏差値低そうな単純バカ、といった)で、その本人の人物像に従ったら「マンガ的な単純キャラ」のように見えてしまった、ということなのかもしれない。
だとすると余計に面倒だが、とにかく複雑さの欠片もない主人公像で、内面に何がしかの葛藤を留め置くような風貌でも所作でもなく、奥さんもそんな感じなので、見た感じ、そのままスーパーマンとかバットマンに近いようなシンプルなヒーロー姿。映画の主人公像としては食い足りないがアメコミヒーローの発展形と言われれば納得する、あるいはフィクションの主人公像としては物足りないがノンフィクションで実際にこういう奴だと言われてしまうと黙るしかない、みたいな。
 
物語の筋道としては戦場帰りのPTSDが主人公描写の主筋だが、ランボーとかの既存のそれと違うのは「お仕事で定期的に出張するように出かけて行って人を殺しては出張期間が終わると自宅に帰る、その繰り返し」を軸に、戦場と平和な内地の近さ、日常と非日常の切り替える暇のない近さを強調してみせてるとこで、これはまあ、あんまし言及したくはないがグロスマンの「戦場における人殺しの心理学」で「ベトナム帰りは気持ちを切り替える暇なくヘリと飛行機の直行便で送り返されたのがよくなかったんだ」(第二次大戦のときは船でノンビリ帰ってきたから丁度良かったんだ、という変な比較つき)という解説をなぞるようになってる、と言える。(どうでもいいが、この「心理学的なケアすればよかったんだ」説明にしたがうと、例えば「るろ剣」とか、それこそ「許されざる者」みたいな「人殺しの宿業はどこまでいってもついてまわる」系の話と微妙にかみ合わない。まあ後者は道徳・教訓みたいな話だから現実と違いますよと言われればそれまでだが)
さておき、この「戦場と内地の近さ」を強調する描写は、カット構成もそうだし、イラクの建物屋上で狙撃任務中(延々と待つ仕事なので基本ヒマ)に携帯電話で奥さんに連絡して他愛ない会話をかわすとか、非常にこれ見よがしな形で強調される。んで切り替えのきかなくなった主人公はPTSD診断とあいなる。
気になるのは、こういう「戦場で殺人任務中に奥さんと携帯でおしゃべりする」とゆー狙撃兵ならではのシチュエーションが作品構成の鍵になってる一方で、「海兵隊のあいつら見ちゃいられん」と言い出して建物突入の先頭に立つという、「狙撃兵の仕事だけだと絵面的に・構成的に主人公がカッコよくないから」あたりが理由と思しき「危険な戦場のど真ん中に突っ込むシーン」を採用してることで。
「狙撃兵は卑怯だ」とゆー、それだけ聞くと「ひどいイチャモンだなヲイ」と言いたくなる批判をマイケルムーアがゆったと聞くが、映画を実際に見ちゃうと「ああ、ちょっと都合がよすぎだなコレ」と、ムーアの気持ちもわかる。
もちろん、狙撃できる場に陣取るってことは、狙撃されうる場に身を置き続けることなので、ちっとも安全なんかじゃないのだが、中途半端に「映画の都合」で絵面優先、はぐらかされてる感があるのは否めず、その「映画の都合のための絵」が日常と非日常の境目のなさに関わってくるんで、最終的には作品全体としての説得力がイマイチない。
 
いや。
 
結局は最初の話に戻るのだが、人物造形としては、全くヤバそうに見えなかった。PTSDっぽくはなかった。普通に働く男なのだ。
やっぱアメコミヒーローのリアリティなのだ。「ウォッチメン」で言えばベトナム帰りで現実を突き付けられ現実と折り合うことを選びつつも苦悩を抱え込みながら戦い続けるコメディアンほどの複雑さもなく、どっちかというと極右雑誌を愛読しながらシンプルに悪即斬に勤しむロールシャッハに近い、そういうクリスカイルが実在したのだと、エンディングでの実際の葬儀のシーンで否応なく直面させられる、そういう話なのだ。
そして、「正義をふりかざして戦場で大活躍し、殺人を間違いと思わない、フリークとしてのアメコミヒーロー」という、実にバットマンと大差ないやつが、アメリカの英雄として実在した、という現実をつきつけてくることまで含めて、「うわアメリカやべえ」っていう映画、なんだと思った。