「キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー」

 
凡作だったんでサラッと毒吐いて終わりにしちゃおうと。
 
「アメコミヒーローっていつも悪をやっつけるより先に仲間割ればっかしてんのな」という印象を抱いたのはNHKでアニメアイアンマンを見てた頃だったか、アニメX-MENのほうだったか、さてどっちだったかは忘れましたが、その後、翻訳されたコミックス見て、やっぱ仲間割ればっかしてんのを確認したりしてました。
 
マーベルの仲間内のつつきあい大好きっぷりはいいかげん見慣れた光景なんで適当に流しとけばオッケーとなりましたが、今作もそんな感じで平常運転のテンション低いノリでお話は進行していきます。
 
なんつーかね。
 
宣伝が「スーパーヒーローが仲間割れの危機!」「引き裂かれる友情!」と煽り立てるのは、まあご理解できるんですよ。
 
けどね、アメコミ見慣れてるファンがシビルウォーの仲間割れの描写に納得してアメコミは深い的なニュアンスで感想を述べてるのを見ると、やっぱアメコミファンってキモイわ、ってなります。
 
や、だって。
 
やってることは延々と痴話げんか、少女漫画の恋愛物のちょっとばかり人間関係の線の数が多いのと変わらず。そんな大した話じゃないんだから、スルーしてコミックのアートのカッコよさの話だけすりゃいいのにさ。
 
むしろ少女漫画だったらまだ人間関係だけに話を絞り込んでて整理されてるし、登場人物が過剰に感情的なのも納得いきますが、いい年齢のオッサンたちが今さらのように身内の痴話ゲンカに勤しんでるの、「アメコミってそういうジャンルだから」以外の理由で納得するの非常に困難です。
 
ヒーローのみなさん、戦争を経験してさ、悪との戦いに身を投じてさ、民間人の犠牲者が出るとか今までもしょっちゅうだしさ、イチイチ足踏みすんなよと。そこは、とっくの昔に通過してなきゃいけないハードルだろと。
いったい、どんだけ幼児退行させりゃ気が済むんですかと。
 
昔はさ、ハリウッドのヒーローって大人なのが良いんだ、それに比べて日本のアニメは子どもが主人公で、っていう偏見に満ちた批判があったじゃん。
 
アメコミ映画のヒーローたちが、どんどん「日本化」してる気がするんですが。
 
どんだけ打たれ弱いんだよと。アムロかよ。碇シンジくんかよ。
 
うじうじヒーローだったら「アイアムアヒーロー」のほうが10年先行ってるよ。
 
「ヒーロー禁止法」「ヒーロー制限法」もさ、20年前にウォッチメンの翻訳を読んだときは、そりゃ衝撃的でしたよ。すげえって思ったよ。
 
今作となっては、もう完全に「とりあえずのギミック」でしかない。全然、先に進んでない。むしろワンパターンに採用されすぎて真面目に考える余地もなくなって、現代にあわせた政治要素や思想要素をとりあげて話に絡めてく上で、邪魔な要素にすらなりつつある。
 
そゆ意味では「バットマンvsスーパーマン」は現代性とどう向き合うか真面目にやってた。スーパーマンっていう取扱が非常に難しい大看板を現代に置くための慎重な配慮があった。やいのやいの言われても、そこは偉いよ。アメコミだからシリーズだからっていう逃げに走らないで、ヒーローじゃない周囲の人たちの役割を省かずに尺をとって、頑張って作ってる。
 
マーベルは、もうこれ、どうせ北欧神話の神々の戦いと同じぐらい、現代の下々と関係ないとこでバトってるだけなんだから、ヒーロー禁止がどーとかいう眠いネタで20分も30分も使ってんじゃねえよと。
 
しかも。
 
ここが一番の問題なんだけど。
 
肝心の戦闘シーンが、刺激が全っ然、足りないんですが。
 
イデアが全く足りてない。とりあえず出さなきゃいけないヒーローをどう捌くかという、タスク処理に労力を全振りして、ヒーローのスーパーパワーの魅力を伝える段階に至ってない。マンネリもいいとこ。
 
スパイディを連れてくるんだったら、スパイダー能力の新しい見せ方のひとつやふたつ考えて披露しろよ。それがヒーロー映画の義務でしょ。お仕事でしょ。やるべきことやって、それから内ゲバやれよ。
 
スパイダーマンを出すにあたって、キャラ造形のかわゆさには配慮しても、ヒーロー能力の魅せ方には配慮がまるで行き届いてない、てのが方向性を如実にあらわしてると思いました。キャラ物であって特撮物じゃない、とでもいうか。
 
確認しますが、全世界大ヒットなのは、べつに良いと思います。
 
文句あるのは、映画の中身をしたり顔で解説して深い深いと言い出しちゃうアメコミファンだけです。ガキ向けなんだからガキ向けって言われても文句言ってんじゃねえ。