@oyomot: うんまあ。ビジュアルノベルで、けっこう実験的な映像表現ってやってるから、そのへん漁れば「金をかけずにどんだけ演出できるか」の話は色々できるだろうが、たぶん表現においては、そんな革新的な話にはならんだろうな。あくまで流通の話だろうなあ
@oyomot: この先のデジタルな分野の「まんが表現」についていえば、まあ、日本のアニメとマンガの蓄積はそんな簡単に崩せるほど薄っぺらいもんではないっつーか、大体において既存表現の枠組みから遠く離れることはないかなー。CGアニメ製作の費用が下がればそっちに傾くだろうが、そちらも多分頭打ちだろう
@oyomot: デジコミの特集がなんか中途半端っていうか微妙な。「デジタルならではの演出」について言えば、俺ら、けっこうな範囲の実験をゲームジャンルで見てきてるわけだが、現実的に落ち着くデジタル表現て、大体変わらないよなー、とか
@oyomot: RT @maeQ: 50年後、ついに『機動戦士ガンダム』が大河ドラマの題材に。主役はミライさん。歴史の重要な局面にすべてなぜかミライさんが立ち会い、時には歴史を動かし、そして連邦からジオンまで、死ぬ奴は全員、今際の際にミライさんのことを思い出すのであった……。
@oyomot: 少女漫画でよくありがちな設定だよな、などと思った>RT
@oyomot: RT @sakamobi: 【速報】こんな男がモテる2015・女の子のちょっとした変化に気づく石油王・炊事洗濯家事育児をソツなくこなす石油王・清潔感があり真面目で誠実な石油王・話が面白くて周りに気配りのできる石油王・誰にも負けない強みとお金を持っている石油王・性格も…
@oyomot: そこまで気にしなくてもいいかなあ、とは思わんではないが、美少女という手法の是非を問われるというなら、その程度は気にしたうえで、ロリコンという選択によって歩んできた自分たちのアイデンティティの主張てことはせんとあかんやろ、みたいな、な(あいまいにごまかす
@oyomot: んでな、オタク文化圏の美少女ってのは、そういう少女マンガの手法と連携し取り込みながら成立してきたデザインでして、「内省の文法」と切り離して語るわけにもいかなかったりするんですよね。だから個々の作品の評価がある一方で、その作品が成立するにあたっての土台の話も気にしないといけないと
@oyomot: けど、艦これは女性作家からの一定の支持を集めてるようだし、実際女性作家は戦国武将好きだし新撰組も維新志士も好きだし、そゆのと何が違うのって言われたら、いやまあ、ゴニョゴニョ、ってなっちゃう話でもあるんですわ。だから、そのへんの扱いをどうコントロールするか難しい話になるんだが
@oyomot: 艦船を意志ある人間とみなしたとした場合、戦争後半の劣勢のなかの目的不在で惰性でズルズル戦ってるだけと言い捨てても半分あたりであるような「ナントカ作戦」の殆ど全部は艦娘特攻無駄死にってことになるからね。その特攻をモチーフに少女マンガな内省やらかしたら、まあ大半はアウトになるだろうな
@oyomot: まあ、最近だと判りやすい例として艦これと少女マンガ的な手法の二次創作が出会ったとしたら、非常に内省的であるような、そして内省的であるがゆえに、艦これのモチーフである日本海軍の歴史上の様々な問題への偏ったアプローチであるような、そういうのが、たぶん、沢山でてきちゃうと思う
@oyomot: セオリーで量産されてくから、わりとヤバいものについても批判されずに出てきちゃうのでありまして、このへんはフォーマットが整備されてること自体への批判を含んでおかないとダメではあるのです。
@oyomot: いや当り前なんだけどね。そうでもしないと拾えないような、世間一般からはスルーされるような繊細あるいは非常に偏ったものを扱うんだから、他者との衝突を扱うのは相当に難しいんだけど、ただ、少女マンガに代表されるような形式化された手法は、そのへん誰でも扱えるようにしちゃってるのね
@oyomot: オタク美少女について。少女マンガに代表される、内省的な記述を前面に押し出す方式ってのは、言うまでもないですが弊害あります。心の中で思ったことが主役なので、どうしても、外界との摺合せは二の次っていうか、自分が納得したら話としては終わりっていうふうになります。
@oyomot: たぶん、半端に軍オタ方面の知識をかじるほど、戦闘のシチュが強引すぎて説得力に欠けるなあ、って思ってしまって、聖書の引用とかに話を持ってくしかなくなってると思う
@oyomot: RT @highland_view: そして戦車バトルを見ればいい。ワクワクして、手に汗握る戦車戦を。群がるドイツ兵を機銃で一斉掃射するところを。それは戦争とはいえ、もう悲惨な殺し合いです。胸やけするような人間の醜さです。それを楽しんで見ている自分を含めて。キャベツが欲しくなり…
@oyomot: RT @highland_view: …というように、作品全体にあふれる聖書の引用と十字架のイメージ。そして最後に守った十字路。という所で、ひとつ論評のテキストが書けるかも知れないですね。でもね。正直いうと、それをする意味は私は無いと思う。キリスト教や救い、祈り、十字架みたいな…
@oyomot: オタクのロリ美少女嗜好ってのは、戦わないと滅ぼされるしかないのですな。きちんと権利主張して過激に正当性を主張するロリ萌え批判の欺瞞を攻撃しておくべきでしょう
@oyomot: オタク文化圏の美少女とは反リベラルの象徴に他ならないわけでありまして、オタ文化圏は思想としてリベラルとけして相容れることはないですし、弾圧を受ける運命にあると言えます。そこんとこを大人として使い分けろというのは思想としての「美少女」の根幹を否定する物言いです
@oyomot: さて、日本のオタク文化圏の美少女というモチーフは、まさにその権力や暴力をふるまえず力を持ちえない弱者に様々な観念を投影するという一連の機構を繰り返すことで成立してきたジャンルであり、ロリ美少女に萌える文化圏は「リベラルに振る舞う」ことから取りこぼされる事態と密接に連携してる
@oyomot: だって子どもは現実に虐待を受けやすいじゃないか、ってのはそのとおりであるのだが、それ言ったら女性だって未だにそうなのだし、所得の低い国の出身者もそうなので、子どもも女性も途上国からの移民もありとあらゆるものに対する性的嗜好はキッチリ制限されるべきですね、と
@oyomot: 実際には大人だって個人の自己判断能力なんざ大して持ち合わせていないわけであり、その事実に目を背けたいので子どもと大人を峻別するとか、そゆ方向に目を逸らし続けてるのであろうから、児童性愛は公道徳としてアカンてのは、あんまし説得力を感じない
@oyomot: >「子どもは判断能力持ってないからダメ」>「大人と子どもを峻別しないとあかん」とゆー感じで、大人が自分が無制限に自由にふるまいたい&権利主張したいから「判断能力を身に着けてない子ども」を性表現に絡めることがスケープゴートにされてるんだろうなあ、って思ってる。
@oyomot: 最近の「児童保護」の過激化は「理性と思考能力を兼ね備えた成人はどんな性的嗜好をもっていたっていいんだ(同性愛その他の権利主張のため)」>「多人数と性交渉持つのだって自己判断でやっていいんだ」>「売買春もおっけぇ」>「ところで自己判断可能ってどこで決める?」>続く
@oyomot: RT @highland_view: つまり「人殺しばっかりしてちゃ、胸やけしてしまって体に悪いぜ。間…間に聖書を読むんだ。そうすると聖書の成分が胸やけを防いでくれる。聖書以外の引用じゃその効果はないそうだ…。誰が最初に発見したかは知らねえが、スゲエ知恵だな」という、サンシャイ…
@oyomot: RT @highland_view: そんな極道フューリー一家に、戦車に乗ったこともない新兵ノーマンが配属されます。ファミリー的には息子ですね。人を殺したこともないノーマンですが、フューリー一家に入るための条件は「人を殺せること」なので、当然、戦争親父ブラピは飴とムチを使って人…
@oyomot: RT @desuka_desuyo: 2014/10/26 SC65発行物 | 藤井理乃 #pixiv URL藤井理乃さんの『カンコレーション』とても素敵なお話の加古鷹本でした。一読の価値あり。古鷹好き、加古好きにはぜひとも読んでもらいた…
@oyomot: RT @kanako_5866: 途中です?( ノ∀`) URL