魔法少女育成計画limitedの何が悪かったのか説明する回(読んでること前提の、ネタバレ全開節)

http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20131208#p1
で持ち上げたあと、一部で批判されてるのを見て「あーちょっと褒めすぎかなマズったな軌道修正しとこっかな」という主旨の文章です。こういうのを放置しとくと胃が荒れたり仕事に支障をきたす程度に気になったりするので。
 
想像上で「批判」を箇条書きしてみます。

・小娘が酷い目にあうのを楽しむのがゲスい
・能力バトルのくせに能力の使い方が面白くない
・キャラの生死に作者の「神の手」が透けて見えて萎える
・シリーズ1作目、2作目にあった捻った要素が今回は見えない
 
このへんを想定した上で解説します。ところで私自身は小説はあまり好きじゃありませんので、以下の話は小説読みとは相いれないと思います。
 
まず魔法少女をやたら惨殺するのは元から趣味の悪さを売りにしてますから、それ自体を責めるのはあまり意味がありません。ただしゲスくて趣味が悪いという自覚は書き手にも読み手にも中間業者にも必要で、自覚とは具体的には「言い訳するな」「高尚ぶるな」「欲をかくな」といった感じです。例えば僕が米澤穂信とか推理小説のイレギュラーなのを嫌うのは、ゲスいことをやってるという自覚の足りなさ具合です。推理ものなんてのは元から構造レベルで「ゲスの勘繰り」で、その構造を維持したままちょっとテーマやら文芸的な趣向やらちょびっと凝らしてみましたというのは欲をかきすぎで、結果としてゲスくてジャンクなフツーの推理物ではスルーしていた穴や見落としが目立つ羽目になるわけです。もう少し頭の悪さ度合いをアピールしてくんないかな。その意味で「氷菓」の「美少女サイッコー」というコンセプトに徹したアニメ化の方針は素晴らしいものでした。
小娘が無残に死んでくのを面白がるにあたって高尚ぶる必要ないわけですが、その点「魔法少女育成計画」はゲスに徹しておりました。ただ、シリーズが続くことで「先が続けられる」という部分の「欲」が出てきてしまったと言えます。
具体的にどういうことかと言いますと、特定のキャラクターが優遇されるようになった。具体的には1作目の生き残りや2作目の生き残りなどが3作目で登場するわけですが生き残ってます。この「シリーズが続くのに重要キャラが都合よく生き残る」という形が見えちゃったことで、大量に出る死人の選別に「ひいき」が透けて見えてしまった。そうなってくると、今度は「何でそんなアッサリ死ぬのか」が「作者の都合で殺した」となる。元々、生死の分かれ目は殆ど偶然にすぎないとしてザクザク殺してる作りですから、作中の「偶然」が作者の「ご都合」である(そんなのは創作だから当たり前ですが)と見透かされてしまうと、話の殆どを埋める「小娘が惨死するのハァハァ」が機能しなくなります。探偵もので話が続くほど探偵が神のごとくスーパーヒーローのごとく特権化され、被害者や加害者のいる浮世から切り離されてくのと理屈は同じです。
 
つぎにジョジョ的一芸特殊能力バトルものなのに能力の使い方が面白くない点ですが、これは「短い間に大量に殺す」という1作目のコンセプトからそっち方面を大幅に切り捨てる方針を最初から立ててる、必然的なつまらなさと言えます。また魔法少女という既存のジャンクカルチャーをネタにしてるのと同様、能力バトル自体が「特殊能力バトルものが多すぎて新しいアイディア出すの大変で似たような能力が巷に溢れかえって陳腐化してる」ジャンクカルチャーであり、そういう陳腐な能力バトルを採用したこと自体が「高尚ぶらずにゲスに徹する」要素でもあった。ちっとも目新しくないのも作風のうちでした。
ですが、前後編にシリーズ化と、キャラ描写できるだけの尺がとれるようになってくると、言い訳がだんだん通用しなくなってきます。特に今回、1作目や2作目にほんの少しだけ「特殊能力の捻った使い方」を全体のオチにしていた形式を放棄した(これは意図的なものだと思います)ため、能力の使い方が面白くない、という印象が強まったかもしれません。
 
つぎ。今回、大規模結界の中で戦うのですが、その時間限定エリア限定が話の切迫感に結び付いてません。48時間以内に目的を達成しないとヤバいことになる、という理屈は話の終盤でようやく後付けされますが、あまり機能しません。1作目ではとばっちりを受けた一般人を魔法少女が救助するシーンがあったんですけども、今回は一般人の被害者を出しまくるのに対し魔法少女が自らの生命や使命をかえりみず救助活動するとはなりません。そういう立場の人がいないんですね。だから48時間以内に解決しないと一般人死者がたくさん出る、みたいな盛り上がりかたもしません。また肉体バトル盛り気味になってますが、目的があってバトルするというよりか、バトルするためにバトルする、相手を倒すためにバトルする、というのが多い。なんでそうなるかというと、基本的に魔法少女の内面語りを読む作りだから、彼女たちの動機だけ書けばそれでバトル(というか話の大半)が成立しちゃうからです。で、なんで内面を面白がれるかといえばナイーブな内面の魔法少女がアッサリ死ぬのが楽しいからです。ですが今回、生死を分けるのは偶然でしかない、という偶然性が作者のご都合のように見えてしまうと、内面語りだけに頼るのは厳しいかもしれません。
 
つぎ。おそらくは話の展開を派手目にする目的もあって、肉体バトルが多めになりましたが、その都合もあって1作目や2作目のオチ、「いかにも魔法少女らしい心理や内面に関連した能力を、裏返して<悪用>することで決着がつく」という部分が消えてなくなりました。それ自体は作者もデメリットを判り切った上での決定だと思います。そういうのもあってますます「なにが魔法少女なんだかさっぱり判らないよ」という体裁に近づいているわけです。私自身は今回のコンセプトは「魔法少女と魔法の妖精との稚拙だが熱い信頼と友情の絆を描く」だと思っているのですが、しかしなんにせよ「幼い少女の夢をかなえる素敵な魔法が使える、昔の魔法少女」という体裁がないと、そういう純粋無垢な小娘の心を嬲り惨殺する楽しみ自体が成立しません。1作目は理想を体現する魔法少女がいて、彼女が修羅道に陥ることで話が成立しました。limitedではそういう存在がいない。だからオタクじみた細かい魔法少女談義を一人の魔法少女に語らせることで「魔法少女かくあるべき」を持ち込んでいるわけです。作品自体がジャンクカルチャーの粋たる魔法少女のイメージに全面依存してる以上、そこは実は欠かせない重要なシーンだったりするのですが、そうなってくると、虚構世界で実在しない魔法少女アニメをそれっぽく語って現実世界の魔法少女アニメ文化圏をなぞらせているだけでは足りなくなりつつあります。魔法少女アニメにあこがれる少女の内面が安っぽくなってしまい小娘の死に様や堕落を味わうまで至らなくなるのです。
 
だらだら長々と書きましたが、私がここに書いてるようなことは書き手も理解した上でやってるわけで、だから作中でクズだクズだと貶めたり荒んだジャンク感が強まったりしてるんじゃないかなと推測します。この先どうなるかは作者の勝手なのでわかりませんが、仄めかされてるメディアミックスがそこそこ成功したあたりで読者の期待も願望も観測も裏切った酷い展開になるのが個人的希望です。「小娘を嬲って面白がる」路線の先達でいえば、いきなりメタ展開で現実世界とリンクするハガレンのアニメ版とかそんなんでも構いません。いっそ他作品キャラを一方的にコラボと称して投入しプリティサミーやマドカマギカのほむらをザクザク殺してまわる展開でも可です。どうせ残酷描写の扱い的にもそのままアニメ化できないような話なんだからやりたい放題やっちゃえ、と期待しています。