「許されざる者」(日本版)

驚くほど良かった。
正直、かなり軽い感覚というかゲテモノに手出ししちゃったかな、ぐらい警戒してた。見る直前まで「酷い物見ちゃったぜ」みたいな感想を書く気が満々だった。
だって「幕末の伝説の人斬り・十兵衛」を主人公に「西部劇の日本版リメイク」で「テーマは人を殺すことの重さ」と言われて、すわアメコミのダメな映像化の日本版か、と思っちゃうのは俺ら的に仕方ないじゃない。いくら監督や役者が大物だと言っても、それは邦画だとまるで保証にならないしさ。
全然、逆。
むしろ予告の「伝説の人斬り・十兵衛」て、そっち系を騙して連れてくるための釣りか、というぐらいに、それこそアメコミヒーローの「シリアスな映画化」ブームに対して正面から殴り込みかけてるとすら言える代物。テーマが集約されてる部分においてはイーストウッドの旧作を超えてると称したって罰は当たらない。そんぐらいしっかりしてる。
基本的なシナリオはアカデミー賞のそのまま。ただし舞台は日本。これが思いのほか効果が高い。
西部開拓を明治の北海道開拓に移したのみならず、アイヌネイティブアメリカンになぞらえてみせる、というだけでも日本時代劇としてはアイデア賞ものだし(みんな真似してもっと同じ舞台で話を作れ)、新時代で食い詰めた元武士達が最北端の開拓地で薩摩だ長州だと肩肘つきあってる構図もうまい。北の果ての追い詰められた環境に舞台を移したのが日本映画ならではのウェットさと相乗効果があって旧作よりも極限状況で荒んだ雰囲気が良く出ている。
うおお、と唸ったのが銃と日本刀の混交した、明治ならではの過渡期のシチュ。
原作が西部劇ガンマンの話だからどうするのかと思ったら、「刀では銃に勝てない時代の流れ」を背景に、十兵衛も敵役も双方が銃も刀も両方使うのでシチュエーションの置き換えに無理がない。のみならず「時代遅れのガンマン」を「刀にしがみついてる時代遅れのサムライ」として刀と銃の対決シーンを差し挟むので原作よりシチュがひねってあるのもよい。
そして、そうした刀と銃の対比の上にガッチリと描かれる「殺人の重み」。殺人のシーンは幾つかあるのだけど、どれも刃物で行われる。それも時代劇の殺陣のように流麗に日本刀を振り回したりすることは殆どなく、抵抗する相手にのしかかるようにして、全体重をかけて相手の躯にずぶりと刃を突き立てるのが殆ど。人を殺すことは、文字通り「重さ」をもって行われる。ここでは、とにかく人の躯は重く、人を切り刻む刃物も重い。
いやまあ任侠映画でドス持ってんのは大概そうだよねと言われてしまえばその通りだし、映像で殺人ってそーゆーもんだといえばそうなんだけど、ここんとこ「不殺」を言ってる人斬りの殺陣がやたら軽さ重視だったりするからさ。
この執拗なほどの「重さ」描写をなしえたというだけでも、原作の銃から日本刀に変えた日本版の圧倒的勝利と言ってしまっていいと思う。銃はどうしても「軽い」。「俺の銃の引き金は軽いぜ」みたいな台詞が成立しちゃう程度には「殺人の重さ」よりは「殺人の手軽さ」(「ゴッド・ブレス・アメリカ」みたいな)が際立ってしまう。
こうなってしまうと、イーストウッド版は重く陰鬱であっても、やはりどこかドライだったのだと思ってしまう。日本版はアメリカンでよく言われる「社会批判」「社会に対する怒り」な路線にはどうしてもいかずに、ウェットで個人的で引きこもりがちな方向に向かってしまうのだけども、本作についてはその路線で転がったのが良かったと考える。ケンワタナベ超絶GJ。