「パシフィック・リム」

見た。満足。上映後一人で拍手してた。
デルトロは「デビルズ〜」「ブレイド2」「ヘルボーイ」「ヘルボーイ2(ゴールデンアーミー)」「パンズ〜」まで劇場で見ているので、とりあえず国内で見れるものは全部見てるんじゃないかなと思います。
そのうえで、不満な人の感想は読みましたが、さまでの問題とは思いませんでした。
一方で大絶賛してしまうのも、ちょっと引っかかる。本作が良い悪いというよりも、いち日本人として。
なんとなれば、日本のオタ層の一人としては、今現在、日本の映画界もアニメ界もマシなものを作ってくれない鬱憤や欲求不満が、本作の感想にダイレクトに反映せざるをえないだろう、と思うから。
僕個人として具体的には、こないだMGガンプラを作って、ガンプラのカッコ悪さに辟易した。初代のガンダムはまがりなりにも作り手の思いや情念が乗っかったカッコよさがあったんじゃないかと思うんだけど、そっから30年を経て、供給されてるのが、こんな理念も何もなく小さく縮こまった、流れ作業でやっつけただけの、干からびた半端な代物なのか、という悪い意味での衝撃があった。もうしばらくガンダムの形をしたものは要らない、手出ししたくない、と思った。海外で売れるわけないよ、こんなもん。
エヴァンゲリオンにしても、言うほど快楽原則に忠実とは思えず、あたまでっかちで理屈っぽい、と感じる部分は多々ある。みんなが見たいエヴァは暴走して使徒をボリボリ貪り食ってる姿だというのに、銃を撃ったりピョンピョン跳ねたりしてるのを見て喜ぶってのは、僕には理解しにくい。
イェーガーは余計なこと考えずとにかく殴る。人型巨大ロボットはグーで殴ってナンボだ。マジンガーからの伝統芸とかそういう話じゃなく、「なんで人型なのか」を突き詰めて考えた上で、それを映像上で示そうとしたら、殴る蹴る(あるいはエヴァみたいに噛みつく)しかないからだ。人間のように振る舞う人間じゃないモノについて説得力もたせようと思ったら。「リアルなロボット路線」を突っ走ったガサラキにしたって、「実際の戦場での運用」は置いといてロボに殴る蹴る格闘させるシーンを毎回無理にでも突っ込んできてた。巨大ロボなんて実用にもリアルにもほど遠い代物に絵として説得力を持たせようと思ったら、とりあえず殴らないと話にならない。それを回避できるのは安彦良和みたいな一部の才能ある人たちだけだ。
イェーガーは巨大怪獣と戦う都合で大きい。あんだけ大きいと人間とは絡ませられない。だから人間とイェーガーの間での遣り取りは作れない。富野さんは巨大ロボのサイズは人間と絡ませることで映像が作れるのが強いんだ、みたいなことをどっかのインタビューで言ってて、ダンバインなんかで様々なサイズの妖精と人間とオーラバトラーが入り乱れてる絵にしても、「サイズ違いのヒトガタたち」という構図で作劇しようという強い意図がはっきり見て取れる。「キャラクターではない人型ロボット」を目指すために人間とロボが作劇の中できちんと絡み、ロボは人間との対比で非人間的な動きが強調されもする。ターンエーでの、360度グルグル回転する手首で洗濯物を洗うシーンが凄いのは、「殴る」共感がロボの肉体への共感なのに対し、洗濯してる人間の側からの関係描写の形でロボが提示されてるからだ。
イェーガーはそっちに行けない。作劇の道は絶たれてるのだから、取るべき道はひとつ、その肉体で示すしかない。殴ることで鋼の身体を観客の身に実感させるのだ。その指先は柔らかい皮膚に非ず、その腕は華奢なカルシウムの骨に非ず、しかして、