もうねないと

 夜中にコンビニで買い物しようとして店番一人が前の客の公共料金支払いでもたついてレジで待たされた経験は誰でもあるだろうが、店側にとっても雀の涙な手数料で手間取らされるその種の受付業務は純粋に機会ロスか人件費負担になる。メール便を数十通まとめて持ち込んでくる相手を受け付けたりしたらどうにも割に合わない。といって「ありとあらゆる手を尽くして客を店の中に呼び込まないとはじまらない」のがコンビニであるのも事実で。「この店でないと手に入らない」が基本的に存在しない、様々な流通の本流ではないままに「軒を借りて母屋を乗っ取る」形で大きくなってきた業界で。だからこそ免許商売の酒たばこに拘る(たばこはいまや「コンビニのオリジナル商材」のような扱いだ。利幅ないのに)し、あらゆる商材が相互に「ついで買い」のフックとしての側面を強く持商品としての個性が消されがちになったりもする。

 現状が公共サービスの領域に近づいてったのは必然の流れで、公共サービスて「民間で取りこぼした領域へのフォロー」である以上、そこに価値を見出すのはコンビニの方向性としての宿命だった。問題はそれが「儲からない」ことにあるのだが、それも、そもそも儲かる商売だったら他の専門業種がやるのでコンビニは二番手三番手で取りこぼしを待つ形になる。

 んで。だからこそ「誰も思いつかない変なこと」がコンビニのオリジナリティだったので、手巻きおにぎりに命運をかけたり、おでん売ったり、アイスクリームのコーナーを冬にででんと構えたり、みたいな無理筋を強引に押し通す。セブンの会長というのは基本的に中小企業の自称アイデアマン社長さんであって、なんか理解不能なことを自分の考えで突っ走ってやっちゃう人、である。そのへん、今のローソンの社長みたいなセレブと筋がまるで違う。あれは守りが堅いタイプだ。

 セブンの会長が諸悪の根源だとは思わない。どちらかといえば契約フランチャイズのシステムによって現場から切り離されて強制的に地に足がつかなくさせられたクチだ。物販の現場に足を踏み入れず「本部が販売を指導する」のが高額チャージの理由であるため、フランチャイズの体制が行き着くところ教え諭す宗教であること、そのトップがイコンであることを求められるような志向性がシステムに内包されていた。契約書の解釈レベルが問題ではなく思想レベルの方向性の問題。