阿修羅展

 けんだっぱあたりで既に「思い切り抱擁したい」とゆー衝動がとてもとてもあった。阿修羅を見た瞬間に「せっくすしたい」と思った。生身の人間に対して性的妄想を抱くのはよくある。それはどちらかというと受身の発想で、男だろうと女だろうと老人だろうと赤子だろうと、彼や彼女と僕との間における性交渉のありえないほど微小の可能性への懸想については殆ど自動的に訪れてくるものであって、抱きたいという自己主張の立ち入ってくるものではない。また自身がピグマリオンほどの行き着いた変態ではないのは承知している。大理石像や木像やブロンズ像に興奮できるほど達者ではない。乾漆な阿修羅だから欲情したのだと思う。僕だけの片想いでないのはもとより承知している。千年ものあいだ日本人の性欲を一身に請け負い、無数のエロ同人で集団レイプの対象となり六つの掌と三つの口でご奉仕させられつづけてきた。しかし阿修羅には愛のあるセックスが一番似合っていると思う。僕はただ一人きり対等にセックスしたい。みっつの唇のそれぞれにキスしたい。三十の指のひとつひとつを咥えたい。指先が落ちて剥き出しになった針金にそっとふれてくすぐってあげたい。おなかをなでてあげて恥ずかしがる顔とくすぐりに耐えられず笑う顔と恍惚の顔のひとつひとつを見つめていたい。手前の両の指を絡めあうと空いた手のうちの二つが僕の横腹をくすぐり、僕は負けじと右手前腕と右間中腕のなか腋めがけて舌でくすぐりかえす。あわてて残りの手で僕の頭を押し返そうとするけれど、腋は阿修羅の弱点なのでふるえてしまって手に力が入らない。ずるいずるいずるい。みっつのくちそれぞれが口々に「ずるい」と震える声で、けれども「いや」とはいわず腋への愛撫を受け入れてくれる。僕が調子に乗って右奥腋へと手を伸ばし舌と指先で四つ腋を同時にしてあげると激しく身悶えながらも指が幾重にも僕の指と舌を求めてくる。再び指を今度は中の掌と重ね合わせると手前右の掌は僕の右手の甲から上を包み込み、手前左掌は僕の左手を包む。それでもあきたらず奥の両の指はもどかしげに僕の指を追い求め、僕は応えてやれないことに苦しく泣きたくなる。すると僕の頬に奥の掌が差し出され、おや指が目元へと、ひとさし指と中指とが耳たぶへと触れる。好きだ。乾漆だから? そうだけど、それだけじゃなくて、阿修羅が好きだ。ずるい。ずるくても好きなんだ。ずるいずるいずるい。