うしおそうじ「手塚治虫とボク」草思社

頭の先から尻尾までたっぷり具が詰まってる第一級エンターテイメント・エッセイ。朝ドラの原作、いやセットの予算盛りたいし大河ドラマの原作、いける全然。

手塚治虫の名を冠しているが、実質著者の生きた時代を振り返る半自伝。これは著者が戦後貸本漫画から月刊連載漫画、TVアニメ制作スタジオ運営と同時代に同じ労苦を共にした盟友に、自身の半生の振り返りを託したのだと思う。

とにかく面白い。大衆娯楽の第一線を生涯かけて駆け抜けただけあって話の牽引力が凄まじくグイグイ読ませる。著者の第二次大戦開戦前後東宝入社から始まって手塚治虫円谷英二政岡憲三、福井英一など超大物に加え各時代ごとにありとあらゆる名前が出てきて読者の興味を引っ張り回し、挙句に著者没後に出版された本書に実弟鷲巣政安が寄せてくれた一文ではここ最近話題になった某フジテレビ日枝久まで関係人物として出てくる。現在に至る時代の流れが伝説でも歴史でもなく地続きの今として迫ってくる。

漫画でもアニメでも特撮でもヒット作をものにしたトップクリエイターの文章だけあってとにかく全部が面白いのだが、日米開戦直前の昭和41年に米輸送船を拿捕して手に入ったディズニー「ファンタジア」を東宝試写室で見たとか、同じく東宝試写室内で円谷英二と特撮技法の会話を交わしたとか、慰安旅行の最中に高熱で倒れた手塚治虫を看病する中でうわ言でこう言ってたとか、密室な上に誰も生き残ってない(著者本人が本書の出版前に他界している)エピソードばかりで、しかもあまりにも出来が良すぎてどこまで実話なのか全く分からない。著者は映像畑出身の漫画家で本書でも自分で挿絵まで描いており記憶も常人より遥かに鮮明だと思われるが、一方でエンターテイメントへの気配りも万全なので、どこまで精密でどこまで盛っているかはもう誰にも判別しようがない。実弟鷲巣政安も巻末の文章で「このへんは多分盛ってるんじゃないかなあ」と指摘しているのだが、ところがこの鷲巣政安の文章も、思い出話に登場するうしおそうじの実子鷲巣詩郎により「いやおじさんの書いたこのエピソードはなかった」と否定されており(Wikipediaによる)、つまるところ、何もかも検証しようもない。というより、この時代この周辺は、本書を頼りに手探りするしかない、一級資料として扱うべきなのだろう。それにしても面白すぎるけど。

題名である手塚治虫との思い出は月刊誌連載時代から映像会社設立、アニメ制作黎明期の交流、そしてマグマ大使の実写特撮を請け負うまで。月刊誌連載作家仲間として同じ部屋でカンヅメし締切後に飲み歩き仕事を抜け出して映画を見に行く気の置けない付き合いの間に交わされたやり取りが描かれる一方で、新興娯楽であった児童向けストーリー漫画への大人漫画集団(新聞の風刺画作家たち、明治期の言論活動で当局と取締逮捕をやり合った風刺漫画家の弟子筋で、昭和の大政翼賛に一も二もなく迎合した、今で言うとワイドショーのコメンテーター枠)の無視、蔑視、バッシングが語られる。悪書追放運動に乗っかって「大阪人は金が儲かればそれでいい恥知らず」と手塚治虫を叩いた「漫画界のオピニオンリーダー」の発言を著者は忘れないと書く。戦前の統制時代を知り、戦後は戦後で組合活動に参加しているのに共産党の内部活動家にコンペを牛耳られて自身の企画を落とされ、やる気を無くして退社し漫画家に転身した過去を持つ著者は、ジャーナリストやPTAからの罵詈雑言の矢面に立って耐え続けた手塚治虫の姿を同じ立場で見ていた者として伝えておきたかったと思われる。

東映動画すらない(著者が抜けた後の東宝の部署を東映が引き受け東映動画になる)、記録とてない(本書の中でも自分が関わった映像が軍の証拠隠滅で燃やされたのを聞かされている)、りぼんなかよしはあってもサンデーマガジンはない、戦後大衆娯楽の空気を伝えてくれる、貴重な、という以上に何より面白い伝記風・自伝風・業界史風・謎ジャンルエンターテイメント。