SFマガジン界隈にいなかったら(一般の文芸誌に行ってたら)神林某って見向きもされず誰も発掘しようとしなかったよね、ということを今さらのように話し。
惑星開発の人もあの芸風だとSFマガジンという媒体以外に足がかりを持ちえようがなかったよねというあたりで裏神林的な存在なのだな、と。
その中間には例の帯と解説を書いたヤクザガールの人たちが居座るわけですが。
一方でヤクザガールの人がエロゲー的世界観が21世紀を支配するとかまだゆってんのは神林の人と惑星開発の人の間を取り持つような立ち位置にいるからで。
はたから見てると見取り図は実に単純なんだがなぁ。
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あぅあぅ、ネットを流してると「こんな代物を神聖なるSFマガジンに載せやがって」みたいな意見をポツポツ見るのです。そうすると「逆じゃね?」と言いたくなるのです。