さておき家族の話

 めんどくさいが続き。

 ざくっと言うと男と女で家族に対する扱いは違います。男女で分けると非難されそうですが、要するに「社会に社会人(日本だと普通は会社員とか自営業とかで働いたり、実際に働いてなくてもそーゆーホモソーシャルな居場所があったり)としてコミットするのが普通扱いな人」と「社会参加が基本的にサブ扱いされてる人」の差。まぁ、あくまで原則論をぶち上げてるだけの話です。

 社会に居場所が最初から定められてるわけでない「女性」としては、自分で対人関係を組織していかないとなんない、というのが素朴な理屈です。なんで家の外だと個別の対人関係の束であるようなのが一般的な現実である、となります。逆に家の中てのは社会から居場所が定められてる場所ですので、個別の対人関係はあんまし重要じゃなくて振られてる役割が割かし大事。

 もちろん「男性」は上と逆だったのよ、という話になります。つまり男の子にとって家族というのは個別の対人関係の束であるようなのが、古典的社会像・家族像での「現実」だったりする。エディプスなんたらはつまりそーゆー家族の内部という環境、社会的な枠組みが機能してない状況下での対人関係の説明です。「子供は父を殺して母親を奪いたいと思ってるのだ」てのは「女同士の間に真の友情なんて存在しないのよ」と同じことを言ってる。

 なんで、男の子から見た家族というのは「やおい」的な視点が適用される場です。カップリング妄想が吐き出される。