専門事情は知らないんだけど

 後書きで買う、ていう人がどのぐらい存在するのか知らんけど、この後書きは買わないなぁ、と思った。

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 気になったので、いっこ。

 みさき先輩の目が見えないのは、障害者だと萌えるからというよりシナリオの要請。

 同じような盲目の設定のキャラクターとしては例によって『水月』の牧野那波がいるが、どちらも結構一人で勝手に行動するあたり、盲目であるハンデを強調したいわけではないのは一目瞭然。んで、この二人は図書館に出入りするわけだが、図書館プラス盲目といえば『薔薇の名前』の盲目の図書館長ホルヘを思い出す。

 ホルヘ修道士からの連想でも判るとおり、みさき先輩と那波の共通点は割と明快で、ひとつの閉じた空間の主である、という点。一方で、その空間に閉じ込められ外の世界に出られないでいる虜囚でもある。

 これはまあ、学園という舞台こそが「永遠の世界」のもう一つの形であるていう、まあ当り前な読みを題材にして川名みさきシナリオが作られてるからで、みさき先輩が盲目なのは、だから「萌えのためのあざとい仕掛け」というよりはシナリオ上の必然でそうなった、というのは、なんつーか、言うまでもないし、誰かがとっくに書いてると思ってたんだけども。

 んーと。単純に「永遠の世界」なる部分の描写だけ追いかけてると、あれは麻枝パートだからいろいろ見落とすと思う。麻枝パートは現実とか学園とかがそこにその形で存在することをまるで疑わないし、どっちかつーと現実世界が確たる存在であることを足がかりにして現実じゃないどっかに飛んでくように見受けられる。その現実なるものが結局のとこゲームの学園でしかなくて、「永遠の世界」へ蹴ってくときに足場の「学園世界」も反作用みたいにしてリアルになり、結局のとこ「永遠の世界」に接続されるのは現実というより「学園」で。だから蔵等を作って、結局ああなるんだが。

 川名みさきの「視点」から見たとき、学園世界は彼女が視力を失う直前の風景で止まってて、変わっていない。変わらないという永遠、な。そんなのは作中で描写される永遠の世界と違う、というツッコミは無能にして大馬鹿の一つ覚えとして却下。流れ移動していく風景の中に変わらず留まり続ける風景が含まれてないわけもなかろう、ということ。

 澪と繭の身体障害も同様の構造的要請だからね。澪は某同人誌に書いたし、繭は言わずもがな。