先の見えない選択肢

 その場では選択しないこと、選択を遅らせ続けること、責任を負う最終決定を先送りにすること、というのがまず最初に来る。ヒロインを選択する行為の主体が拡散し、あわせて行為そのものが拡散していく。
 ついで、枠組み全体に拡散した行為が記述によって回収される。悲しみとともにセカイが終わり、オレやぼくの一人称も終わる。

 んー。

 イマドキはもう、現実社会の中で個であることを貫き得ない、そこで多重人格や多重の語りの狭間に主体や責任を投げ込み拡散させてしまおうてのが、要するにコレの正当化の理屈であるわけだが。シナリオ進行のために殺人人格に身を投じる「痕」「月姫」なんかもその一派だし、先に進んで主体であることを放棄するとAIRCLANNADになる。CLANNADの主人公はアレ春原くんの隣にいる人形だから。ONEで言えば長森シナリオのエピローグで録音メッセージを語るウサギ人形に等しい。
「戯言使いのいーちゃん」てのも基本的にはここに含まれるのね。語りの乱反射の中で個であるような自己を継続させ続ける。噂にきく限りだと最後に「責任」を取るらしいけど。

 あるいは、大きすぎる現実から隔離された、目に見える声の聞こえる手の届く範囲の小さなユートピアの中でなら責任ある個であり続けることが出来る。
 涼宮ハルヒの新作は読んでないけど新入団員イラネとかキョンが言ってるっぽいし。「リリカルなのは」の新作も見てないけど伝聞では相当に面白いことになってるっぽいし、ガッチリ固まった小集団であることを優先して育児放棄してんじゃないかと外からは推測される。

 うむ、結婚したくない子供ほしくない僕らをとりまく環境の問題に接続できるな。そこから逆に麻枝准的な家族像とやらも逆算できる。