雑話

以下妄言。どっかに届け、いや届かなくてもいいや。どっかに吸い込まれて消えてしまえ。
で。
http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060601#p2
早速、その手の話に使おうと思う。
某BDとハルヒ
ニュートン力学と関係説力学の差、と言ってみる。
るーみっくわーるど」的な、まず「空間」とか「世界」とかが先行して、そこに人間を配置する閉じた形の世界観説明てのが一方にあって。RPG的ファンタジーの「ロードス島戦記」とか。
一方で、キャラとかオブジェクトとかが先行してて、そこに関わるところから世界が展開(現実世界から異なる世界への変容)してくってのがあって。
ハルヒは多分、基本的なスタンスは後者。要するに、普通に小説の範疇。
前者は、凄く極端に言うと物語が進行しなくてもキャラクターが自立できてしまう。萌えキャラみたいなキャラクター理解は基本的にはこの閉じた絶対空間的な理解の仕方を前提にして成立する。
後者は、世界観ていう理解の仕方がなされない。開いた世界観て言ってもいいけど、受け手がどっちの理解の仕方が得意かにもよるので、そのへんは曖昧。
*1
この世界観の捉え方の区別は、映像と文章とでも(さらには実写とアニメ、映画とTV、漫画と劇画、様々なレベルで)違うはずだし、もちろん受け手ごとの理解の仕方が違ってるはずで。
映画やアニメなんかは、僕は比較的、閉じた世界として見る。たぶん、カメラがあるから。
脱線したけど、さて。
http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060531
で書いたみたいに、『涼宮ハルヒの〜』シリーズは、基本的にはハルヒのハーレム空間として設定されてる。

作品の構成について。要するにこれは、えろげ・ぎゃるげにおけるメインヒロインとサブヒロインとを、各人の分岐・エンディングに向かうことなく一斉に並べて全員のエピソードをつなげてみました、という(全然要約してない)。
http://www.puni.net/~anyo/etc/haruhi.html

これを「キョンのハーレム」だと理解しない。中心にいるのはあくまでハルヒ。その視点を強調してみせたのが以下の古泉への評価。

第一回全体ミーティングでハルヒキョンと同組になれない=古泉と同組になる理由には、ハルヒの古泉への興味がないとは言い切れないでしょう。P108「学校を案内してあげると言ってハルヒが古泉を連れ出し」探索行で同組になってからですがP142「古泉くん、あんた見所がある奴だわね。」など、ハルヒの古泉への好意を示す記述は実は『憂鬱』の時点から随所に散見されます。これはそのまま受け取ってもいいし、キョンへのアピールと見てもいい。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060506#1146972861

あとまあ、メタな話で申し訳ないんだけど、「異世界人」で誰か、て話をすると「読者=小説とは別世界の人」とリンクしてる語り手であるところのキョンのことです、とか。長門が宇宙人に作られた「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス」だったら、キョンは小説外世界人に作られた「対小説世界キャラクターコンタクト用ヒューマノイドインターフェイス」だ。
だからまあ、ハルヒ祭りがフィーバー中、てのは、ハルヒ異世界人の僕らを巻き込んで遊んでるんであって、作品主旨に実に忠実なんだけども。
えー。
だからどうした、て話ばっかりですみません。
えーまあその、話を戻すと、キョンハルヒがラブラブなのはその通りなんだけど、キョンが他の三人と比較して突出してハルヒに近い、てのもブラフで。
1巻は確かにキョンが頭一つ飛び出てる(キスするとこじゃなくて、ハルヒに他の三人のことを話そうと思う、という記述で終わる点ね。)んだけど、シリーズが展開するほど、なんか無闇に「俺はハルヒのことを理解してるぜ」「俺は長門のことを理解してるぜ」みたいな言い方が増えててさ、どうにもイヤラシイ、てゆか後のための伏線にしか見えなくて。一方のハルヒは非常に安定して4人と全員ぐるみで付き合ってる。それ多分わざとだろうと。*2
多分、ミステリの歴史みたいのでは「語り手の特権性」をどう突き崩すか、みたいな話が連綿として受け継がれてきてるんだろうから、そっちのほうで読み解くようになってるんだろうけど、僕はそーゆーのは全く知識がないので自分の主観だけで書いてるのですが。
で、ハルヒ以外の4人の役割分担というのを以前の日記*3に書いてみた。キョンは本来的に「主観」という役割に限定されている。「カメラ」のあるアニメではキョンの「主観」はその役割を阻害される。「主観」が大きく後退する代わりに、恋愛要素がおそろしく前面に押し出されてくる。

地上的な男の子と女の子の色恋方面へシフトしようというねらいがあるのでしょうか
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20060522

この先をどう処理するのかは、僕には予想できません。4人とハルヒの距離の均等さをどう扱うのかしら、ていうのが一つの興味。
えっと。
話を最初に戻すと。
そんで、ハルヒは一人では夢をみない。キョンキョン本人が呼び出されるんで、ハルヒの夢見るキョンではない。てゆか、作品世界のメタファーみたいな意味合いで使われるところの夢はどうしたって二人で見るものなんですけど、それを隠そうとするのがニュートン空間的な作品世界の捉え方で。
具体的には、BDでは夢邪鬼はあたるの偽者として出てくる。
なんか最近のエロゲーのメタ物っぽい処理もそーゆー「主人公の偽者」みたいな形がわりかしあるんで(多分BDの影響も大きいのだろうけど)、そこからの連想なんですけどね。某大作とか別の某大作のファンディスクとか。*4
で、夢を見るのはラムと夢邪鬼の二人の共同作業なんだけど、夢邪鬼は自分が夢をみてるわけではない、ラムが夢を見てるんだ、と言ってしまって、ラムの想い人であるあたるの偽者となって隠れてしまう。
さておき、ハルヒは一人だけでは夢を見ることができない、てのは明確に示されてる。それはキョンが夢を見ることを拒否するやり取りにもあらわれてる。
あるいは『消失』で、何でハルヒ以外の別の誰かが世界を書き換えることが出来たのか、という話をしてもいい。答えは、そいつが部員だったから、ハルヒと一緒に夢を見るものだったから、だ。*5
脱線多くてすみません。
ハルヒの話はだからまあ、そういう「二人で夢を見る」ていうとこが最初から最期まで明快に示されてる、という話をしたかったんですが。キョンだけじゃなくて、他の三人ともそれぞれ。SOS団はだからまあその「二人で夢を見る」その先に現れた、「皆で夢を見る」ていう。

*1:例えば、某エロゲーソフトの『春萌』は、北海道のどこそこ、と場所を指定し、物語が展開する世界の外部として東京みたいのを想定させてしまったとき、閉じた世界としての「田舎」ではなくなってしまったのではないかと(まだ序盤しかやってないのだけど)予想する。そうして世界が開かれた理解のされ方に落ち着いてしまったとき、キャラクターは「萌えキャラ」として成立するのだろうか、というのが現在の関心の行方。

*2:まあ、わざとでもなんでも、途中がつまらなかったら投げ出せばいいんであって、ラストのどんでん返しを過剰評価する必要は全くないんだけど。

*3:http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060531#p2

*4:あと確か『Cross†Channel』も、本編では明示されてないけど、シナリオライター本人の手による番外編だったかで、あの世界でのプレイヤーキャラクターとしての黒須太一以外に黒須太一の死体が町外れにあって、支倉曜子はその死体の存在を知ってる、てな裏話が語られるらしい。僕は現物を読んでないけど。

*5:この話を敷衍していくと、キョンに対して他の皆が好意的なのは、要するに異世界人である僕らはどうせハルヒに手出しできないから安全パイであると見くびられてる、という話になるので個人的にはあまり好きじゃないのだが。小説を読んでそこから引き受けた夢を現実に変える気がない、と言われてるも同然だから。だからこそ「ヌルい話」なのだ、とも言いたくなる。