@oyomot: ここんとこ、よわバハで破滅回避時に自分では黒鞄出して他人様のファランクスに頼って回避しようとすると、なぜか主人公だけ生き残って他メンバーがダメージ食らって退場したりするんです。なんでやねん
@oyomot: そーゆー意味では大阪維新みたいな地方独立系勢力が国家権力にダメージを与える発言をするのは文脈に沿ってるといえるし、そゆ地方分権勢力と距離が近い現在の総理大臣てのはハッキリと国家権力を減衰させるだけの害悪であると断じることができる
@oyomot: 国家組織以外の自立団体に極端な分権をさすべきでなく、NPO法人なんてのは「ほどほどに」「国にあまり近寄らせない程度」でしか運用してほしくないわけである。なにをどう転がそうとチェックが追い付くわけがないのでな。
@oyomot: 保守として政治的発言をするなら、中東が戦乱に陥ろうとアフリカで虐殺が起ころうと、優先してもらいたいのは国内治安維持にある。地域の自警団頼みになるのだけは勘弁してほしいわけでな。
@oyomot: 。。。一応。庶民が懸念すべきは権力の独占が崩れ、警察による治安維持能力の独占も崩れ(元から暴力団が代替しとるやんけ、という指摘もあろうが、今や暴力団も心もとない)、自警勢力の成立を許すことにある。ありもしないシーレーン脅威や尖閣や国際貢献より優先度高いのはそっち
@oyomot: RT @gaitifujiyama: この問題において、差別発言の問題とは違うレベルでの、同じような大問題がこの静止動画に映っている。警察が右翼歓迎しているってどういう事だよ URL
@oyomot: 伊東ライフというと発散のスタイルとしてガチャ芸もあげられるわけだが、ガチャという「ゲーム攻略としての作業しない受け身性」を創作的な形で芸風として磨き上げる、という捻じれと巨乳推しは連動しているとみるべきか、あるいは嗜好の分裂した二極のあらわれと見るべきか
@oyomot: ジャンル内で比較的マイナーなリグルを伊東ライフが「発見」するのとリグルの受け身性はリンクしていた、と言えるか。艦これで描かれるのが駆逐艦キャラでなくなる(「発見」しなくなる)のと、つまり消費のスタイルが受動的になるのと乳のサイズはある程度リンクしていると言えるか
@oyomot: 伊東ライフ話。「ボーイッシュなリグル」は、もともとキャラ的にもマイナージャンルで、「リグルとえっちなことをしたい」という男の側の欲望の発露も重要だった。まあ、すぐにリグルが発情しまくるようになるんだが、さておき「受け身なリグル」も初期にはあった
@oyomot: オタク界隈も少子高齢化でオッサンばかりになってロリ嗜好は増えると思ってたのに実際には「脂肪がたるんでるのいいよな」と非常に許容範囲が広がってるのと関係があるのかどうか、てのも知りたいところ
@oyomot: 業界規制があったのかどうか。超電磁砲がダントツ人気キャラというあたりでみる限り、さまでにアニメ・マンガ全体の人気が巨乳に傾いてるようには見えないので、あくまでエロ描写界隈もしくは同人界隈の都合ではないかとは思うのだが、
@oyomot: なんで「男と間違われて怒る」というあたりに照準をあわせていたはずの伊東ライフ本がふにふにおっぱいに顔をうずめるの前提に変化していったのか、というの、まず全体の流れとしてのコミケ界隈業界のイラストの巨乳化の問題がある。道具の問題なのか絵の書きかたの問題なのか構図の問題なのか
@oyomot: 伊東ライフのおっぱいの話をすると、言うまでもなくリグルの話をしないわけにはいかない。初期リグルの頃は明らかにボーイッシュなロリ貧乳であったのが、時をおうにつれドンドン伊東ライフの絵が巨乳へと傾き、今となっては完全に柔らかさを強調するようになってしまった。
@oyomot: だから性描写について語るのも当然ながら政治語りになります。堅苦しいのが政治、というのが思い込み。おっぱい語りは政治語りの範疇です。伊藤ライフはその活動によって本人の思惑はどうあれ政治性を帯びざるを得ない(本人は嫌がるだろうが、そういうもん
@oyomot: 陳腐か否かのレビュアー判断は別れるでしょうが、「これは表現(政治)のために守らんとダメっしょ」「これはむしろ守ったらダメでしょ」という政治決定をするのがレビュー書きであり感想書きであり、そっちでこそ「政治を語ってる」のである、ぐらいは言ってほしいところ。
@oyomot: 当然ながら、路上パフォーマンスと美術館展示の間に区別をつけるのもおかしいから、美術館展示でも陳腐になってレビューに値しないならアウト。同じく出版社から出す小説も中身のレビューで判断しないと不公平。表現の自由は「なんでも小説を称して出版していい」という自由にはならないと思うが、
@oyomot: 路上パフォーマンスの「アート」と、基地前の政治運動のパフォーマンスの切れ目をどこに見出しますか、っていうの、まあ法律は守れよ、ってのと、あとまあ価値判断的には、その都度、その都度の「レビュー」でしか決まらないだろと思ってます。陳腐になったらアウト
@oyomot: これあとね、自分は常に「反対運動の手法」は「表現の自由」と連動してる話だと思ってる。「表現の自由」は「文字で何を書いてもいい」だけじゃないはず、というのは弟は立体制作物で現代アートとかやってて、そゆのを見に行ったら当然ながらギャラリーで飾る以外の「表現」なんざ幾らでも見るしね
@oyomot: 単純に権力を維持したいならヒラの警官を尻尾切りで重めの懲戒処分はコスト安くて現実的な判断だと思いますけどね。言葉で返さなくたって、通常レベルの治安維持なら公務執行妨害とか方法はいくらでもあるんだし、「挑発を返すな」なんてレベルすら守れないで現場を管理できるとはとても思えない
@oyomot: はっきしいって「沖縄で反対運動してるやつらの行動はバッチい」なんてのは「政治の話」になってない。単に見た目が自分の気に入るか気に入らないかの話しかしていない。
@oyomot: 日本という国家権力をきちんと維持したいなら、その程度はわかれや保守を自称してる連中、ていう感想
@oyomot: 「反権力が言葉で挑発するから、警察も言葉で返すのはしょうがない」の理屈は、まあ、悪しき平等幻想ってやつだと思ってます。最初から不平等な現場で、どうバランスをとって調整してくか、という管理の観点から見ても、あれに何らかの擁護を与えるのは下策も下策。権力の正統性を減じる話にしかならん
@oyomot: 「反権力を自称して警察を挑発する」のは戦術として当然あるでしょうが、それに同レベルで対抗していいという話にならん。「グーでぶん殴るのを仕事として許可されてる」というのの圧倒的な強さは、その程度のリスクすら負わずに持っていいもんじゃない
@oyomot: 「権力と民衆」の話。暴力を独占できる不均衡さの上でバランス見ないと成り立たないわけです。「透明な権力」であるためには「透明さ」は当然ながら要求される。そこで「挑発に耐える」のは、まあ必要なコスト。
@oyomot: RT @litulon: @hutai 平田座長の話では水銀が空気から出た理由がわからない。原因追及のためには現状を保全する必要があるとのことでした。都の職員は地下水がオーバーフローする可能性があるので抜かせて欲しいと言っていましたが、座長はオーバーフローの根拠を求めていました。
@oyomot: RT @litulon: 豊洲市場(仮)の地下水管理システムは順調なの?そうじゃないの?よくわからないから面倒だけどグラフにしてみた。今週に入ってから変な挙動をしているのね。 URL
@oyomot: たかがヒーローをシリーズ再開させるために堅苦しく哲学問答をくりかえすスタイルよりかは、オリジナルキャラのオリジナル新作をとにかく開拓していこうとする日本の漫画業界の健全さは大事にしてほしい。いやほんと。商売の都合とはいえハイコンテクスト化は程々に
@oyomot: デップーみたいに「設定レベルで不真面目」じゃないと、この程よい軽さを描くのも一苦労なのかもなあ、と思うと、特定人気キャラに依存してる販売スタイル辛いよなあ、てのも
@oyomot: デッドプールを読んでると「古き良き時代のアメリカンスタイル」とゆーフレーズがちらつくといいか、邦訳されるアメコミの大半がくそ真面目すぎて息苦しく、そのくせシリーズ継続の都合でどっかで抜けがあるとゆーのを見てると、そら人気あるわな、って納得する
@oyomot: RT @tocho_shijou: 【10月23日は大田市場で秋まつり!】いよいよ大田市場まつりまで1週間を切りました!花き部では花の販売だけでなく、先着30名様限定でフラワーアレンジメント教室を開催!みなさんの手でお花をステキに飾ってください!お待ちしております。#大田市場…