マンガのはなしとか

んーと。
http://togetter.com/li/768115
とゆーことで、なんか仏国のテロがマンガの評価・評論にまで波及してきたので、なんか書く。
書くつーても引用がメイン。

フランスのカリカチュアについて、1836年に発表された考察からの引用。

(前略)
この種の文学*1は、英国では非常に発達しているが、フランスではまだおおいに改善の余地がある。フランスの場合は、滑稽な人々を目立たせ、特定の党派や著名人や風俗を痛烈に批判するのにこの表現形式が用いられることが多く、民衆に対して、彼らの幸福や徳性に資するような思想を強調するためにはあまり使われない。しかも、この種の作品において、フランスの画家は概して目的を果たそうとするあまり度を越しがちである。彼らは、徳や品行に関する信条を物語化する際、おめでたいほど完璧な人物や、意味なく化け物じみた人物を描いて見せるので、そのぶん信条がうまく伝わらないのである。また、フランスの画家たちは、滑稽な表現をするときあまりに分別と慎みに欠けるので、個人攻撃をすることで上記の信条そのものが危うくなる。『ラ・カリカチュール』という、大変機知に富み、人口に膾炙している絵入り雑誌だけを例にとれば、同誌に掲載された石版画が、政府や公権力の評判を全般的に貶めると同時に、フランス政府の現構成員たちを嘲笑するのに加勢したことを認めない人はいないだろう。(中略)フランスでは、すべてが不安定で、揺らいでおり、確立した原理よりも知性の働きが優勢で、ひょっとすると知性よりも情熱が勝っているので、こうしたカリカチュアは国民の進歩にまったく貢献するところがないのだ。
(後略)
ティエリ・グルンステン/ブノワ・ペータース『テプフェール マンガの発明』(法政大学出版局2014)P153-154

 つうことで、200年近く前に批判してる人がいるわけですが、もちろんこういう「下品な真似はやめれ」という人はいつでもいるわけで、一人や二人批判者がいることは当たり前なのですが、この批判が重要なのは、筆者がロドルフ・テプフェールという「近代のストーリーマンガを事実上発明した」と研究者からみなされてる人である点です。ちなみに、この文章のあとに自作を製作するに至るまでの理念が語られています。
 つまり、そもそもストーリーマンガとは、新聞の一コマ風刺画と理念レベルで袂を分かつところからスタートしている、ということになります。

 もちろんテプフェールの作品に風刺的な要素が存在しないわけではないです。聖職者はがっつり登場してきて威厳の欠片もない間抜けな敵役を演じます。ただしテプフェールは教育者という側面もあって、道徳教育の観点から、寓意を表現する連作版画の手法を評価し、その延長上にストーリーマンガを「発明」してるわけです。リンク先は手塚治虫藤子不二雄を引っ張り出してるわけですが、手塚作品や藤子作品は、どちらかといえばテプフェールの批判と、その批判と連携した発明である「道徳教育に資するためのストーリーマンガ」の延長上に位置づけられる気がします。

 とはいえ、マンガの源流として新聞の過激で下品で挑発的な風刺画が存在しない、なんてこともありません。テプフェールと別にもうひとつ「マンガの始祖」と見なされる「イエロー・キッド」(『ホーガンズ・アレイ』)は、明らかに新聞の風刺画から出てきた作品で、当初は一コマもの連載マンガだったものが、コマ連結の「コミック・ストリップ」の形へと変化していきました。
「イエロー・キッド」が重要なのは、その圧倒的キャラクター人気と、その人気がもたらした様々な出来事を通じて、マンガのキャラクターという概念が成立し整備されていく礎になった点です。
 キャラクターとして成立するにあたって、イエロー・キッドはテプフェールのそれと違って、表情変化の薄い、動作においても動的でないように造形されています。なにせ発話のために口を動かすことすらしない。そのぶんテキスト・吹き出しが活発なのですが、グラフィックとしては萌えキャラ(少女マンガ的デザイン)と同様、様式化、テンプレート化させることでブランディングが成立し、その上にキャラクター人気が爆発した。
 つまり「大人マンガ」である新聞の一コマ風刺画だからこそ、極度に様式化されるようなキャラクターは発生した、といえる。もっとも英語の識字率が低い移民の国で売るためのマンガに、大人向けも子供向けも関係ない気がしますが。

 だいたいそんな。オチはありません。

 フランスのテロの話はさておき、なんか奇妙な方向にマンガ評論が捻じ曲げられてる気がするなあ、と思ったので、メモ書き程度の話です。

 あと、気になるのがひとつ。
 今回のフランスの「過激で下品な絵で挑発する風刺画家たち」と「徴発されて風刺画家を殺害したテロリスト」の構図を語るに当たり、過去、日本においてテロを実行したオウム真理教と、オウムについて作中言及したためにオウムから付け狙われた「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりが参照されるかと思ったら、目立つあたりでは誰も言及しないんですよね。「ゴーマニズム宣言」なんか典型的に「過剰に下品に描く」という手法を自己でアピールすらしながら使っているわけで、今回の仏の風刺画と対比して考えるのに格好の事例だと思うのだけど。
 どうも日本の「良識的」思想家やマンガ論者は政治案件である小林よしのりや「ゴーマニズム宣言」について言及することを避けたがってるようにも見えて、そんなふうに自分たちの足元の話題を避けつつ「日本では政治風刺のマンガが貧困でどうこう」と語られてもなあ。ゴーマニズムは僕は最初から嫌いだったけど、今回の案件で誰もゴーマニズムに言及しないのは気持ち悪いなあ、と思って。
と、今検索したら、小林本人が言及したみたいね。何を言いだすかしらんが、そりゃそうか。

*1:引用注:庶民向け版画・カリカチュアのこと