@oyomot: RT @kondou0809: 加古「アタシの格好が一番寒い辛いって言って悪かったよ。悪かったから…その…あっためようとしなくていいってば…うぅ…」 #第六戦隊版深夜の創作60分一本勝負 URL
@oyomot: RT @kondou0809: ぬりかこきぬ! URL
@oyomot: RT @kondou0809: ジェットカコリームアタック URL
@oyomot: まあ派手さには欠けるので短期決戦を仕掛けないといけない商業エロゲでは難しいだろうが、同人ゲームであれば、そうした表現形式はむしろ得意分野だろうし、そっち方面を現役ゲーマーレビューが掬い取りメジャーシーンに対し独自性を提示してくれることを期待したい
@oyomot: 物語ではなく非物語であること、動画ではなく静画であること、ドラマティックなサウンドよりイージーリスニングな環境音楽であること、を軸にする。たとえば一枚の静止画に、積み重ねるように、折りたたむようにテキストを重ねていく、など。
@oyomot: 基本的には「静的なメディア」であることに立脚すること、だと考えている。つまり、こちらから働きかけないと微動だにしない、その静性をオリジナリティとして打ち出したほうが、他メディアと差別化しオンリーワンを提示できるだろう、ってことだね
@oyomot: そうそう。昨日のノベルゲームの話だが、いちおう、この先に批評的な意味でノベルゲームがその独自性を主張しうる可能性はある。忘れてたが。
@oyomot: 全方位に攻撃するからオッケー、ってのは、全方位に攻撃することを選択した自分からすると、やあ、それは甘いよ、そんなんで肯定されることはないし、肯定されうるとか思った時点でアウトだ、としか。
@oyomot: あと、「大人マンガ」と「子どもマンガ」の話なんかも、それこそ文脈無視の話のようで、どーにももにょる。印象派とラファエル前派を比較して、片方が大人、片方が子ども、って言われたら、どうなん。おかしいやろ
@oyomot: んー。マンガの話として「ドラえもんは風刺」というのは違和感。「風刺」という言葉の意味をどうとるか、だが。「教育的なマンガ」じゃないかなあ、ドラえもんのそのへんの話は / “「フランス」と「風刺」と「ヘイト」と「オタク」と「日本」を…” URL
@oyomot: まあ、警句主義はほどほどに、という程度の話です
@oyomot: これ「表現の自由は大切だけどヘイトスピーチはいらないってのは、1万円札の表はほしいけど裏はいらないっていうようなものだ。」と書いてしまうことと大差ないわけだが、そういう書きかたしたら、かなりの反発をくらうのではないかしら。では「下品なカストリ」と「ヘイトスピーチ」の違いはいかに
@oyomot: そっから先は現役の人がんばってくれ
@oyomot: 一般的に云って、「娯楽作品」てのは基本的に「既存の価値観を再確認して楽しむ」ものなので、そういう需要に対応している、というなら、それはそれで成立する。ただし、その場合、次にノベルゲームが出くわすのは「他のメディアで充足かのうなんじゃないの?」という問いだ。
@oyomot: 大体、そんなとこかね。この話は「フィクションてのは既存の価値観の正しさを再確認するものだ」って人においては分岐シナリオは成立するけど、「何か新しいものが提示されるのではないか」と期待している人には、なんの制限もない分岐シナリオというのは意味がない、という程度の話だ。
@oyomot: あるいは、現状のノベルゲームの場合は、音楽に帰して語るとか、グラフィックに帰して語ることは不可能ではないとは思うが、音楽からシナリオにまで言及しうるかといえば、やはりシナリオは分岐について問わないと先に進まない、とはなるだろう。その手前で折り返すことは可能だろうけど
@oyomot: 逆に、女の子とHする以外の「ゲームのルール」がどこにあるのか教えてほしいんだよな、今の状況下において。そのルールがあるなら、それに基づいて分岐は管理収束されうる。シナリオは語りうる対象になる。もっといえば「作者の独占物として読むことすら遮断されてたものが読めるようになる」
@oyomot: では、どうするかといえば、かつてなら、18禁であるというなら、ヒロインと結ばれることに「もっとも基本的な合意事項」を見出し得たから、ヒロインとHする以外の余計なことは一切やらない、という収束のさせかたを選択することによって分岐の収束を管理した。今はそのへんだいぶユルイが
@oyomot: 小説なら、一筋の時間の流れが縛ってくれるなら、まだしもそこに帰着させることはできる。だが時間も空間も自在に遡って縦横無尽に拡散しうるのでは、収束させようがない。
@oyomot: なんで、そんな話になるのかといえば、結局のところフォーマットが固まっていないからだ、としか言いようがない。
@oyomot: さて、では「送り手と受け手が合意できてる事項を確認する」以外の情報が認められないような分岐シナリオとは、いったい何なのか、という話になる。真善美を語るにしても、送り手と受け手が互いに既に了解済みで合意している、結論の出ている真善美しか語り得ない、ということになる
@oyomot: そういった「一般的なレベルで送り手と受け手が合意しているとみなされうる共有事項」によって、分岐シナリオはようやく語られうる。逆にいえば合意外の判断が分岐に働きかけることは、それ以外のあらゆる分岐に拡散しうるため語れない