「たまこラブストーリー」

もうそろそろ上映終わりかなって感じなので。
つうか、見た翌日からつらつらと書いてたら「タッチ」(あだち充)の話にまで遡りそうになったので全部お蔵入りにした。なので下は全然関係ない話。
もともと、「けいおん!」の第一期は、かなり計算してガッチリ作ってて、そこに原作で提示された歌詞をそのままに採用し、見事に楽曲としてすげえ良かった「ふわふわ時間」が奇跡すぎて一気に乗った、っていうふうに解釈してる。
だから俺においては山田尚子という監督さんは「きちんと計算してものを作る人」で。そして一方で大ブレイクした「けいおん!!」(アニメ第二期)は、第一期を計算上でカッチリ作ったためにそぎ落とした原作の諸要素を拾いつつ、しかもリアルタイムで進行してく原作と歩調をあわせなきゃならず、さらに話数の多さのためにオリジナル要素を投入して間を持たせなければならず、という様々な制約条件下で計算を色々詰め込み調整かけてくなかで、各スタッフの色も出ながら、監督自身の地の部分もけっこう滲んだかな、って感じのものだった。ちなみに第二期で目立ったアニメオリジナル要素ってのはクラスメートたちとかそのへん。音楽方向じゃない。「けいおん!!」の2クール目のOPが教室内でのライブだったし。劇場版で俺が何度見ても個人的に涙腺をどうにも制御できないのも教室ライブの机から飛び降りるシーンだったりする。あれには勝てない。
たまこまーけっと」は、計算して作った構図がうまく働いてないと思った。やっぱりなんだかんだで「けいおん!」は原作に力があり、何より放課後ティータイムの楽曲は、かっとばすパワーがあった。「たまこ」は、本当だったら昭和の映画のごとくねっとりじっくりとしたデラ演じる山崎たくみの演技とキャラ造形の深み、みたいなとこに期待するところ大だったんだと思うのだが、デラは構想の中の役割だけを与えられたまま、本番では短い1クールの中、自由に動き回ることができなかったように見受けた。そんな中、TVで一番かわいかったのがデラがチョッカイ出すしおりさん、デラにツッコミ入れるチョイちゃんだった。食欲性欲睡眠欲丸出しのデラに近いほど可愛い(みどりもカンナもかわいい、という意見はあえて却下する。というか彼女たちの魅力を描くにあたりTV版で全力投球できなかったから劇場版に持ち越したな、と見る)。もっとデラが奔放に動いて、商店街の面々とも交わっていくような企画構想だったと思うのだが、それは全体の構成の都合で果たせず、かなり窮屈にしちゃった。
たまこラブストーリー」は、計算が前に出すぎた感がある。
今度はデラを枠の外に置いた。
今回、番外編を冒頭に流してデラを「役割」としてだけ流用するというやり方は、正直、上記のTVの構成に思うところがあったので、ずるいな、と思った。嫌な言い方だが、デラを切り捨てもせず取り込みもせずということで、逃げたように見受けた。
そうしてデラのいない、ファンタジー要素のない、うさぎ山商店街の世界が描かれた。たまこが色づき始めると同時に世界は一気に色づいた。ただ、それは俺には不満だった。うさぎ山商店街の色づきかたが、枠内に収まってるように見えたから。やはり窮屈な都合のせいで、登場人物としてではなく、背景として色づいてしまったために、その落差が見えすぎた。TVでデラと商店街の面々が交流するエピソードがきちんと作られていれば、そのへん、気にしないで済んだのにな、と思う。
緻密な計算で成り立っている。が、計算が先立ちすぎているように見受ける。教科書通りにやってます感が否めない、と言ってもいい。教科書のない、その先について、あまりきちんと見せてくれた気がしない。
京アニのすごい作画、が、基本的に全く生かされないなかで、山田監督のようにきちんと計算して作品を提示してくれるだけでも希少価値であるのは間違いない。が、もっと先があって欲しい。贅沢な話ではあるが。
そんで、結局、いちばん心をつき動かされたのはクライマックスのブラックアウトだったりするわけだが。
出崎監督の「絵を思いつかなかったから黒くアウトしたんだよ」というカミングアウトなオーディオコメンタリーを聴いた後だと、黒くていいのか、そこで感動しちゃっていいのか、ってのは自問自答として残らざるをえない。
俺のモヤモヤを解消すべく山田尚子京アニから離れて武者修行してくんないかな、って思う。