「心が叫びたがってるんだ。」

 川崎チネチッタの初日レイトショー20時35分の回、上映終了時に一人ガチ拍手して誰もついてきてくれなかったのは自分です(あいさつ
 や、誰もついてこないけど俺だけ拍手してる、てシチュは今までも何回かあるんですが、流石にあそこまで勢いよく考えなしにソロ拍手したの初めてで、誰もついてきてくれないと知って一気に恥ずかしくなったのもしばらくぶりでした。あれ今から思い返すと俺の挙動って劇中の順のそれじゃね? いやもう照れますね(
 
 あー。はい。さて。
 冒頭でガッチリと心を掴まれた感はありました。詳細は http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20050225 を読んでもらうとして、やっぱ定番ですよね子どもの頃に無邪気に憧れたお城のようなラブホテルって。ああ、ラブホだから北関東が舞台なのかあ、みたいな納得感とあいまって、お約束を外さないでしっかり踏みしめてく監督の流儀なのだなあと思いました。
 
 そして。俺はノイタミナの「あの花」は乗れなかったし劇場版も見てないし見る気もない人ですし当日ちょっと時間ができるまで興味もなかったので事前情報いっさいナシでフラッと入ったクチですが、映画が進んでくにつれ引き込まれていったのは、ぜんぜん「いわゆる劇場アニメ」じゃない、画面でした。
 最後まで、しごく普通のちょっと丁寧に作ったレベルのテレビアニメのように見えるぐらい、派手な絵作りとか、これみよがしなカッコイイ構図とかカットとか、一切そっちに行かずに作っちまったの、もうすこし工夫できるとこあるだろとか才能見せろとかいう批判もあるかと思うんだけど、俺はもう、全然そう思えなくて、むしろ「何もないように見える」ことに痺れました。
 すみません多分こういう偏った感想は俺だけかもしれないと思いますが、後から検索して出てきたスタッフインタビュー( http://news.mynavi.jp/articles/2015/08/28/kokosake.jp/ )で全部を言われてしまってるので、読むといいと思います。「ヘンに背伸びしすぎて自分で自分を追い込んで見失ってしまうより、何ができるかを肩肘張らずに模索している」という言葉はホンにその通りやと思う一方で、そう見えるように(けどアラがないように)作ってるのでナンダコレナンダコレナンダコレって。
 
 比較に引っ張り出すのアレだけど、「時をかける少女」だとやっぱカッコイイ絵はそこかしこにあって、それはそれで美味しいし、「ねらわれた学園」だと普通に「劇場アニメ? うおお遊んじゃれ遊んじゃれ」って感じでいかにも楽しいし、「たまこラブストーリー」でも「ガッチガチの構図や。ガチのすとーりーや。超絶ガチや」っていう特別感があるんですが、そういうのと違うのは、いわゆる劇場版だと実写でもアニメどうしても「特別」「お祭り」「キラッキラ」になってしまうところを、まるでスルーしてしまってる。けどインタビューでも言ってるけど登場人物が全員ちゃんと行き届いて動いてて、だから逆に話として綺麗に収束させるわけでもなくて。それがええんです!(力説
 
 なお、心があらぬ方向に没入してたので、お話の内容はあんまし把握できていません
 
 その他。「true tears」でもそうでしたが、今回も往年の葉鍵ヒロインぽくてオッサンホイホイでした。LINEの吹き出しを画面にかぶせてくるのは意図的にAVG系譜のテキスト表示を狙ってると思うので、意識してないわけではない、と思います。岡田ヒロインて、下手なギャルゲー原作&ギャルゲーシナリオライター自身が書いたアニメよりかギャルゲーヒロインくさい(少女漫画ぽさはあんまし感じない)のはなんでなんですかね。俺自身、岡田ヒロイン基本的に大好物でノイタミナブラックロックシューターも「かーえーれ! かーえーれ!」コールを一人でも多くの人に知ってもらいたくて家族が居間にいるタイミングを見計らって無理くり見せたりしてましたが、本作の曰く言い難いギャルゲーヒロインテイストが一人でも多くの人に受け入れられるといいなあと思います