「ラブライブ!」

いまさらですが第一期です。
1話を見たときの高揚感といいますか「ついに来たか!」という興奮も束の間、あまりに期待しすぎた僕の目論見は話数が進むごとにしおしおと萎み、しかし酷い出来ではなく、むしろ良作の部類に入るので勝手な思い込みに突っ走って素直に見れない自分がみじめ、という感じ。
期待しちゃったのは勿論、1話の唐突ダンスのインド映画テイストでした。
金のない日本の映像業界ではCGを使ってショボイ「なんちゃってCG」にならずに済むわけもなく某実写デビルマンを量産してく他なく、ただ暗澹たる負け犬ロードが待っていた。しかるに日本のゲーム業界は「まだだ……まだ、俺たちには<萌え>がある……!!」と言ったかどうか、「時代は動き萌えです!これからナムコが萌え業界をひっくり返しますよ!!」と「ゆめりあ」を発売。しかし当時は力及ばずネタ消費され、3D萌えキャラっつったらシャイニングフォースEXAやラブデスを想起するのが当たり前になっていき、ナムコ萌えCG路線は泡沫で終わりかと思いきやIdolM@sterでまさかの大逆転を遂げるに至ります。彼らは3Dキャラのレンダリングを二次元に近づける方向で研ぎ澄ませるのではなく、「3DCGキャラが最も映えるにはどうすればいいか」という問いを立て、ステージダンスという結論を導き出すことで逆転の糸口をつかみました。
その後のゲーセンやお茶の間のポリゴンCGダンスダンスダンスまみれの現状は、もはや説明するまでもないでしょう。ハリウッドの超高額CGアニメがどれだけ金を積み上げて「リアルを再現」する方向にCG技術を研ぎ澄ませていったとしても、まだまだ先は遠い。いやむしろピクサーやディズニーの「リアル路線」のCG映像の、ちょっとした瞬間に垣間見えてしまうチャチさ、オモチャ感、重さの感じられない作りもの感に軽い失望を覚え、あるいはアメリカのCG業界でも資金繰りが大変という話題を小耳にはさんだりもすると、ダンスで安っぽいポリゴン美少女も魅力倍増!という日本のゲーム業界・アニメ業界のスキームは、もしかしたら日本ソフト業界大逆転の鍵となるかもしれない大発見ではなかったかと感じ入るのです。(「ホビット」2部で屋根を飛び移るオークたちの重量感の無さというかニンジャのようなスルスルとした動きにいわく言い難い諦めを噛みしめるように、)CG恐竜がしばしば重量感に欠け迫力を減ずる一方、CG美少女の重さをしばし欠く踊りはむしろ魅力ですらある、欠点は長所となったのです。
残る不満点は、ダンスコンテンツの広がりの無さです。世は確かにアイドルブーム。アイドルアニメの体裁でダンスを踊るのが最も判りやすい。とはいえ、いつまでもアイドル一色では飽きられるのも早い。アイドルネタを消費し尽くすのと同時にダンスCGまで消滅してしまうのではあまりにも勿体ないのです。ダンスという武器を、より広く、より強力に推し進める。それにはインド映画のようにストーリーに関係なくダンスをどんどん導入すべきではないか……!!!! 俺は以前からそういう思いを抱いていました。そして、ついにラブライブ1話に出会ったのです。そう、この路線でいいんだ!
インド映画のような脈絡のない、リアリティに欠けた強引なダンス導入が受けるわけがない、そういうことを言う人もいるかもしれません。ですが、そんなのは大嘘です。日本のコンテンツ文化はもともと非常に段取り主義で、リアルとか関係なく見栄えの良さ、カッコよさ、ファンサービスを優先している。典型的なのは特撮ものでしょう。戦隊ヒーローの毎週の段取りズムは言うまでもありません。変身ヒーローの変身にしたって、歌舞伎役者の見栄を切る様式をそのまま引き継いでいます。ロボットアニメも同じく、時代劇や歌舞伎の要素を色濃く受けついで成立してきました。ガンダムでリアルSF路線に向かい過去は清算されたんだ、などという世迷言を述べる人もいるでしょうが、実際にロボットアニメを作るとなればロボが出てくる必然性がなくてもちょうどいいタイミングでロボが出てくるのが「アニメの様式美」である、として古参ファンから強く支持されているのは言うまでもありません。ラブライブのアニメを作っているスタジオがサンライズというのも、ガンダムにおいて人物パートとロボット戦闘パートの分業製作体制が完成しているスタジオであり、ロボ戦闘がそのまま3Dダンスシーンに移行しただけだと考えれば、納得のいく話です。時代はロボ戦闘ではなく3Dキャラのステージレビューに移行している。プリキュアだってアイドルでもなんでもないのに踊りまくってるんです。
俺には、ラブライブ1話は「日本アニメがインド映画のような広がりと隆盛を獲得していくための第一歩」に見えたのでした。まだまだアイドルという枠組みだけれども、こうやって前後の脈絡やリアリズムなどという寝言を切り捨ててダンスシーンを大胆に導入していく路線を拡大していくことで、アニメはさらなる表現獲得を、市場拡大を、真に世界を席巻していくのだと、歓喜に打ち震えたのです。
 
 
しかし、その喜びは、ぬか喜びでありました。いや、けしてアニメラブライブが悪かったわけではない。俺が上記のような妄想を抱きすぎていたのが一方的に悪いのです。
ですが、先に進むほど、ストーリーと踊りがきっちりと連動している構成となり、言い方は悪いですが「普通のアニメ」になっていってしまった。
いや普通のアニメなどと言うのは失礼だとわかっています。アイドルグループという超越概念と学園生活というストーリーとを無理なく結びつけるための設定の数々、あからさまに「けいおん!」をリライトしたような展開に透けて見える王道と跳躍の間の駆け引き、それ自体がかなりアクロバティックで冒険的であり、なまなかな作りではない。
しかし、それでもなお、俺は夢を見たかったのです。アイドルもストーリーも関係ない。ただ映像の歓喜に満ち溢れるように、純粋に楽曲に身をまかせるがごとくに、前後の脈絡も舞台背景もキャラ設定もすっ飛ばして、いきなり踊るアニメであるようなラブライブを。