スタドラ最終2話

 コードギアス、というか谷口悟朗は悪い影響を残したなあ、もしくはコードギアスの欠点を綺麗に引き継いだなあ、といった。

 ゴローちゃんの悪癖はインタビューでも口に出して言っちゃってる「群像劇好き」で、しばしば投げっぱなし・話に多少なりとも食い込む間もないまま「こいつなんで居るの」となる。リヴァイアスの頃からキャラを無闇にばら撒いて、最初からまともに回収する気がない。キャラ萌えのムーブメントにタイミング的に重なってしまった結果、キャラをまとめて絞り込むよりもキャラを増やしファンの受け皿を増やすバランスへ偏ってる。

 それを律してるのが、非常に強固かつ徹底した男尊女卑感覚とゆーか「女は良妻賢母型とビッチの二種」「作劇的には男を装飾するオプションパーツ」という女性観で、「女はいくら増やしても話の本筋に絡まない」「男は余ったら女の世話をさせとけ」とゆー、まあなんつーか女性キャラ過剰な昨今のアニメ作品において、結果として非常に判りやすい軸のぶれなさを演出していて、そのへんで、他の「男に都合のいい(女にも買ってもらえる)男女同権な作劇ってドウヤレバイインダロウ」とゆー無駄なあがきを嘲笑い軽々と飛び越えてしまっているかに見えた、ということなのだろう。

 で、スタドラ。女性陣の貞操観念が、なんか無闇に固い。男遊びしてても純情純潔なのよ、とかなんかそーゆーのが多いし。そんでワコに「二人のうちどっちにするの」などと彼氏持ち(一人のカレにベッタリ寄り添ってて本筋に絡む気配は少しもない)に何度も言わせてしまうあたり、実に気持ち悪い。そんな話題、えんえん2クール引っ張るほど重大な話でもなかろう。とっとと3人でスワッピングを毎回楽しんでればいいのである。そんでケイトを4Pに誘っとけば済んでた話だったのだ。

 べっつに、なんでもかんでも男女同権を念頭にいれとくべきとは思わない。谷口悟朗作品だって「ああ、そーゆー人なのね」と了解して終わり、という程度のもんである。それをさも「乗り越えるべき前作」のような扱い方をして中途半端さに堕し、小賢しい言い訳で飾んないとナニをやってんだかわかんない小粒感が、いかにも没落貴族に憧れて真似するプチブル臭くて、ナニを気取ってんだこいつら感がいや増す。

 時代が保守反動へ流れてくなか「男女関係はこうあるべきとゆー常識」を振りかざす手合いが「オトコノコの復権」という美名のもとに出張ってくるのだろう。嫌な時代になったもんである。