空の境界 殺人考察(上)

 キャラデザの問題もあるのだろうが、なにより真綾の演技(表の式のほう)がギャルゲくさいことこの上ない。

空の境界」と「月姫」を対比した場合、ギャルゲーテイストが無闇に漂うのは「空の境界」のほうである(なにしろ、コクトーをめぐって超能力3ヒロインがそれぞれのシナリオを展開し、彼を奪い合う。コクトーはといえば、あっさりとギャルゲー主人公のごとき八方美人ぶりをみせる。両儀式はざっくり言えば三角関係の修羅場で包丁を振り回して他のヒロインを刻み殺すヤンデレであり、そのヤンデレぶりを綺麗に言い訳するために余計な設定がくっついてると言っても、あまり差し支えがない)。月姫は、式の「能力」をめぐる物語を、男の子サイドに移植することで成立している。

 この倒錯の現場に立ち会ったのが、つまり奈須きのこの文才ということになるのだろう。背景にあるのはおそらくは殺人というワードで、まぁ、つまり、、通常であればドラマがいい感じで盛り上がる、相克ポイントである殺人と恋愛の交錯について、実に抽象的な形でのみ殺人や恋愛というワードを取り扱うことが出来たがゆえに、恋愛と殺人を取り結ぶにあたって何らの障害も感じなかったというのが、真相なのだと思う。

 で。この「殺人という行為・事件に対する徹底した抽象的な捉え方」がどこで培われてるのかが、おそらくは問題である。

 眠いので後日に続く。