劇場版マクロスF

 で、どうにも消化不良で<a href="http://www.nicovideo.jp/mylist/7829193">もょもゃもゃ</a>しつつさまよってそのまま「そうだマアヤにきこう」(チョイ役だったけど)と。はしごで夜中マクロス

 救われた。というか、素敵だった。

 女の子が歌う。戦闘機が飛び交う。スポットライト・閃光・爆発・音楽・エロ肢体・轢死体・鮮血・瓦礫・燃える市街地・萌えるキャラデザ・ミサイルの軌跡・歌のキセキ・全てがひとつで、そこでは、女の子の魅力のために死体が積み上げられ、戦闘機のドッグファイトを魅せるために歌が流れていた。

 よく、「アイドルソングや美少女に駄々流れしていった駄目なオタクとしての自分」を発見してしまったマクロスとその視聴層であるような「SFファン兼業おたく世代」たちの葛藤が語られるけれども、アイドルソングと美少女が、人のバンバン死にまくる人が殺されまくる殺しまくる戦場と融合した形を提示してみせたマクロスは、まぎれもなく正しかった。

 歌で銀河を救えるわけじゃない。戦うことと死ぬことと生きることとともに、ただ歌うのだった。ただエロいのだった。ただごーじゃすでりしゃすでかるちゃあなのだった。

 ロックに乗ってカラカラに干からびた自意識を披露してみせるイスラエルの戦争記憶障害者監督がもてはやされてしまう今、萌えるロリコン美少女は確かに有効なカウンターだった。ヘンリエッタの投入こそがテロリズムと犯罪のはびこる社会への有効な対処法だった。どうぶつかするぽすともだんなのだった。涙すら流しながらひゃっほうミサイルいけいけぶっつぶせーだいだろすあたーっく、シェリルさいこーもっとぬげー、なのだった。

 エンディング、あるはずもないのに「へ? もしかしてマアヤ?」と中島愛とマアヤを間違えてしまったと思ったら、なんのことはないマアヤ作詞で、そっち方面でも満たされてしまうのだった。<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E7%9C%9F%E7%B6%BELIVE-TOUR-2009-%E2%80%9CWE-KAZEYOMI/dp/B001TJWSG0">ツアーライブかぜよみDVD</a>が運転BGMな毎日なのだった。